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母親のお通夜と告別式が無事に終わりました。 その3

8月27日

今日は、19時からお通夜です。
自分は、ここに帰ってきてから、リビングに置いてある二人がけ用のソファーで寝ています。
しかも、薄いタオルケット1枚のみで、クッションを枕代わりに。
毛布や枕を、どこにしまってるのか分かりません。
なんせ、バスタオル1枚もどこにあるのか親父に聞いたら

「知らん」

と言われました(笑)
全て、母親に任せっきりだったみたいです。
エアコンの調節が難しく、28度に設定したら暑いし、26度にしたら寒いしで、最低なんやけど…
で、今日も寝付けずにいたら、案の定、4時くらいからゴソゴソと物音が。

でかいゴキブリが徘徊しているようです(笑)

そして、ブツクサ言いながら、リビングに来ました。

「669,669」

 

…と

蓬莱の肉まんは“551”やで(笑)

http://www.551horai.co.jp

 



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10時過ぎかな、寝不足の中、姉貴と次女がやってきました。

この二人いつも、べったりやな…(笑)

 

んで、再び金庫開けたりして保険などの契約書を物色中。

姉貴が親父に

「お父ちゃん、落ち着いたら、このマンション売って、私たちの近くに引っ越しておいで。
今、ちょうど空いてるねん。
私もな、歳やから、さいさいここに来れんわ。

それにガスが心配やしな」

自分も、その意見に賛成です。

が、親父は譲りません。

「お母ちゃんと一緒におった、この場所にいたいねん。
火は、使わへんさかいな。

死ぬまで居らしてくれるか!」

いやいや、90歳で呆けだした親父を何とか説得しようと、自分も姉貴の意見に賛成だと答えます。

すると親父は、急に

「お父ちゃんが死んだら、このマンションを売って、その金は、世話を掛けたお姉ちゃんに7、お前には3!」

 

と、言い出しました!

へ、俺は“3”なの?

てか、今急に言うことかいな(笑)

姉貴は、
「急に、こんなとこで言われてもな…」

と、苦笑い。

「証人はお前!」
と次女を指さします。
あ〜あ、また、この次女、嬉しそうに長女にLINEで教えるんやろな…

最低、最悪や(笑)

てか、“3”って…

頭の中の電卓が回り始めました(笑)
ええっと、このマンションの相場は…
それを“3”で割ると…

げ、殆どないやんけ!(笑)

 
いや、別にあてにしてた訳やないんですが、ちょっとショックでしたね(笑)
この辺りから、普段の生活リズムが違ってるのか、とっとと東京に帰りたくなりました。。。

てか、何でベラベラと大切な話を次女の前でするのかな(怒)

 


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このマンションのお話を少し書かせてください。

ここに、親が引っ越してきたのが、14年ほど前やったと思います。
姉貴が近くに越してきた方が、何かと便利やろと。
最初、姉貴夫婦は、駅近くの中古マンションを紹介したのですが、親父が、

「新築でなければ嫌だ!」

 

と言い出し、売ったお金を全て注ぎ込みました。
姉貴も母親も、今後、何かあったときに少しぐらい残してた方がいいのでは?

と、言ったのですが、聞き耳を持たなかったとか…

売った神戸の一軒家ですが、最寄り駅の阪急電鉄“王子公園駅”から、北に(神戸っ子は、山側と言います。その逆は、海側と言います)上り坂で、12〜13分掛かりました。

かなり傾斜がある坂道です。

歳を取ったら、上り下りもきつくなるし、家自体ボロかったしね。
そこで、先のことを考えて、今のマンションを買ったのです。
自分も姉貴の近くにいてくれた方が、何かと安心ですし、バリアフリーでセキュリティも万全。
ただ、生まれ育った家が、あんなに安いとはショックでしたね(笑)
で、1993年に、その実家から更に上ること15分。
神戸高校の裏手に小さいながらも新しく墓地が出来ました。
親は、自分や姉貴に金の苦労はさせたくなかったのか、約300万円で購入しました。
本当はもう少し東寄りに本家の墓地があるのですが、なんか意地があったのでしょうか?入りたくなかったらしいのです。
本家は立派なお墓です。

墓なんか、何処でもええやんと当時は思ってましたね。

本家のお墓です。

本家のお墓から見下ろした神戸の街並みです。

 

で、その後に阪神淡路大震災。
家は半壊で水廻りが全てやられました。
その修繕費が大変だったらしいのです。
その当時、母親から
「墓なんか買わへんかったらよかった」

と幾度と聞かされましたね。

 

 

さて、話戻りまして、お通夜の前に湯灌(ゆかん)が行われました。

湯灌とは

 

14時からの予定なので、それまで何か腹に入れとこうと思い、一人で外に。
正直、一人、外をぶらついた方が気も楽ですしね。
しかし、ここは食べる所がない(笑)
しかも今日は日曜日。
殆どの店が定休日です。
ファミレスや回転寿司に行ってもな〜
とりあえず、駅の方に歩きました。

何かあるでしょう。

駅近、
と、言っても一本大通りから外れたとこの角にお好み焼き屋を発見。

日曜日やのにランチもやってるんやね。

生ビールも飲みたかったし、これ以上探すのも面倒いから入店。
客は、自分一人でした。

とりま、ビールを注文。

入り口に書かれてた、“焼きそば定食”をお願いします。
 
ビールを飲んでる間にお客さんが2人、入ってきました。
2人とも“焼きそば定食”を頼んでいます。
もしかして、ここの“焼きそば定食”は美味いのか?

て、ことを考えてたら、ご飯と味噌汁、最後に焼きそばが目の前の鉄板に。

一口食ってみる。

麺がもちもちしてて美味い!
この店は当たりでしたね。
後から入ってきたお客さんも

“焼きそば定食”を頼んだことに納得です。

12時30分に店を後に。
そのまま、葬儀場へ向かいます。
既に、親父と次女はいました

親父は、母親の前にポツンと座ってました。

泣き疲れたのか、しばらくして控え室に。

次女もいなくなり、自分と母親とだけになりました。

14時になり、旅立ちの準備が始まりました。

女性2人男性1人が担当。
そのうち、女性1人は何かあったときのためか、部屋の端っこに座ってます。
実際に作業するのは、2人でしたね。
まず、左手にはめてある結婚指輪とシルバーのファッションリングを外します。

一緒に手伝ったんですが、なかなか硬くて時間が掛かりました。

親父は、

「2本とも棺桶に入れてくれ」

と、頼みますが、それは無理とのこと。

なので、ファッションリングは俺が形見として貰いました。

男性スタッフが、給排水装置を持ってる簡易バスを部屋に入れます。

準備をしている間に、
棺桶に入れる遺品の選択をします。
幾つか希望を言ったのですが、フレームが合金で出来た眼鏡や四国八十八箇所を回った時に使用した金剛杖はNG。
納経帳も厚みがあるため駄目でした。

ただ、紐で結んであった納経帳は、解いてバラバラにすることによりOKになりました。

また、うちは浄土真宗です。
恥ずかしながら、初めて知ったのですが、
浄土真宗は、三途の川を渡らず、西方極楽世界に往きます。
なので、冥銭は必要ないんですって。
ただ、それ関係なく棺桶には入れるとか。

で、本物を入れると眼鏡や金剛杖と同じく燃えにくいので、賽銭の絵がプリントされた紙を入れるのです。

洗浄の準備が整いました。

「みんなで洗ってあげてください」

とのことなので、皆でゴシゴシと。

自分は、髪の毛を洗いましたね。

男性スタッフに

「髪を洗うのが慣れてますね」

と、言われたのですが、どうなんでしょうね?

一通り、洗い終わったら、白装束に着替えます。

その上にご朱印が入った判衣を着せました。

足と手の爪を切ります。

「爪は、どうしますか?」

と、聞かれたので、棺桶の中へ。

次は化粧です。

死に化粧ですね。

倒れたときに、なったのでしょうか?

左耳から、うっすらと血が見えたので、男性スタッフから綿棒をもらい拭いてあげました。

母親は、派手なことが嫌いでした。
出かけるときも、化粧は薄めでしたね。

そのことを告げると、口紅は薄めの赤に。

親父は、

「綺麗になったなー、良かったなー」

と、涙声で言ってました。

当たり前ですが、粛々とそして手際よく、その作業は進んで行きます。

いよいよ納棺の儀です。

納棺の儀とは

 

納棺すれば、顔以外は触れません。
手足などに触れるのは、これが最後です。

気の済むまで、手足を擦ってあげたりします。

自分を含め、数人で母を棺桶に移します。
顔に掛からないように、体の周りに“別れ花”を入れていきます。
そして蓋を被せます。

時計を見たら15時30分でした。

その後、姉貴の旦那さんが、保険の契約書や銀行通帳を持って来ました。

義兄は次女に、

「これから大人の話をするから、席を外してもらえる?」

と、言うと、

「なんでや、ここに居ってもええやろ」

と…

普通、空気を読んで外すんですが…
姉貴夫婦は、それ以上何も言いませんでした。

てか、自分怒鳴りつけてやろうと、喉元まできたのですが、いろいろと姉貴夫婦には迷惑を掛けてるから思い止まりました。

(´・ω・`)

よく考えたら、この次女は親父のことが嫌いなのでは?
だから、いつも姉貴と一緒に行動してるのかな?

などと、考えてたら会場の女性スタッフが饅頭とお茶を持ってきたのです。

これは、いいタイミングです。
自分は、次女にコーヒーを人数分頼んで外に出したのです。

その間に、お金の話をと。

義兄が言うには、保険の契約者名義を変えて貰いたいのと、銀行を解約する必要はない(解約するには、いろいろと面倒くさい手続きがあるため)けど、お金は数百円残して後は引き出しておけとかです。

コーヒーを持って、次女が帰ってきました。
姉貴夫婦と親父、自分との会話を聞いています。

どうせまた、長女にLINEするんやろな(笑)

それが終わった後、17時にお通夜と告別式の進行をしていただける司会者が打ち合わせに来ると言うことなので、一旦、着替えるためマンションに戻ります。
シャワーを浴びたかったけど、時間が無いのと面倒いから着替えだけ。

で、直ぐに葬儀場へ。

司会をしていただける女性と打ち合わせなどしていたら、もうお通夜の始まる19時前になっていました。

担当から案内され1階のホールへ移動します。
お坊さんが来て御焼香をあげ、40分ほどで終了。

身内だけですからね、早いです。

 

再び、2階の部屋に戻り、食事です。

瓶ビールを次女と2本飲んだのですが、少し酔ったかな?
長男は、カップ酒を飲んでましたね。
母親の出発の門出なのだから、もっと楽しく行きたかったのですが、皆さんお酒は飲めないようで…

なんか、くらーく、粛々と食事会は終わりました。

なんだかな〜

20時過ぎ、親父と一緒に帰ってきました。

帰っくる時、親父は今朝のことを話し始めました。

そう、「669」のことです。

なんのことはない、郵便ポストの暗証番号でした、

一瞬、暗証番号を忘れたそうです。

やはり、呆けてますね…

 

 

親父は、直ぐ寝たと思います。

自分もソファーに横になりiPhoneを弄くってたのですが、腹が減り出しました。
なんか外に出るのが面倒くさいな。

しかし、空腹には耐えれません(笑)

意を決して、21時半過ぎにマンションを出ました。

さて、どこへ行こう?

昼に行ったお好み焼き屋の近くに何かあるかも?

て、ことで駅の方に歩き出します。

JR御幣島駅よりもJR塚本駅の方が店は多くあるのですが、そこまで歩くのもねー

確か30分以上歩いた経験が1度だけ過去にあります。

だが、案の定、店はありません。。。
1件、パチスロ屋の裏手に立ち飲み屋を見つけたのですが、満席でした。

昼に行ったお好み焼き屋も22時まで。

仕方ないので、マンション近くのファミレスへ。

金曜日に続いてですか…

一人虚しく飲みます。。。

 

 

今日は、ここまでです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
​ 

日本代表、6大会連続W杯出場おめでとうございます!

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2017-08-31
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母親のお通夜と告別式が無事に終わりました。 その2

亡くなった次の日です。

11時過ぎに、姉貴は次女と遺体が安置されている警察署に自転車で向かいました。
昨日、遺体の引き渡しをするので12時に来てほしいと警察に言われたそうです。
親父としばらく待機。
13時ごろに死体検案書を貰って帰ってきました。

死体検案書には、“脳血管障害”と書かれていました。

いわゆる“脳卒中”です。

脳血管障害とは

https://kotobank.jp/word/脳血管障害-111888

遺体は、既に告別式を行う葬儀場に運ばれていました。

早速、そこに向かいます。




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Tシャツに半パンで、出ようとしたら姉貴に、ちゃんとした格好に着替えなさい!
と注意を受けた(笑)ので、
喪服に着替えます。
身内だけやし、別にええやんと思うんねんけどな〜
なので、先に行ってもらいました。
会館までは、徒歩で10分ぐらいです。
90歳で足の悪い親父と姉貴とは、その前で合流。
案内されエレベーターで2階に上がります。
90畳ほどもある部屋に母親は眠ってました。

泣きじゃくる親父。

つい、2週間ほど前は元気やったのに…

人間って、分からないものですね。

しばらくして、姉貴の長男が来ました。
Tシャツに半パンと野球帽でです。

おい!(笑)

住んでるのは、この近くのマンション。
ちゃんと着替えて来いや!
それを見て姉貴は、何も言いません。
普通だと、叔父である自分に挨拶の一つでもあるのが常識だと思うのですが、それもなし(笑)
ここの子供たちは、甘やかされて育てられてるな〜
まあ、そうなった原因も分かるのですが、ここでは割愛。
そして、畳の上で寝転がります(笑)

40歳手前で、子供が2人居るのにね…

夕方、親父に晩御飯を食べさせるために、マンションに戻りました。
母が生前、生協で頼んでたオムライスがあったのでチンして食べさせました。

あとは、即席の味噌汁と親父が好きなトマトが冷蔵庫にあったので次女が切ってあげてました。

そして、姉貴と次女と自分の3人は再び会館へ。
ちょっと用事を済ませたら、回転寿司に行こうということに。
会館に着いて、しばらくしたら、長男の嫁と子供2人が来てくれました。
上の子は、4歳くらいの女の子で、下はまだ、よちよち歩きです。
姉貴含め5人が円になり談笑し始めます。
孫が可愛いのでしょうね。
それは分かります。
自分は部屋から出て外の長椅子に腰掛けます。
ま、遅くても15分後くらいには出てくるやろうと。
しかし、15分はおろか、20分、30分経っても出てきません(笑)
痺れを切らした自分は、姉貴に

「今日は、コンビニで適当に買って買えるから。あと、親父に頼まれたお茶も買わなあかんしな」

 
と、言って葬儀場を後にしました。

正直、ちょっとムカつきましたね(笑)

コンビニに寄り弁当、お茶などを買い外に出ると、

夕焼けが綺麗だったのが印象に残っています。

 


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19時ちょっと前に帰ってきました。
リビングのテーブルで弁当を食べます。
“あ、今日は、サッカーやん!”

iPadのDAZNアプリで、磐田 vs 神戸戦を見ながら食べました。

 

19時半ごろ、親父は
「寝るわ」

と、言って別部屋へ。

試合ですが、元ドイツ代表、ポドルスキのゴールで先制したものの1-2で、逆転負けを喫しました。
ここ最近、全然勝てません…
ポドルスキが試合に出だした7月29日の大宮戦は3-1で勝ったのですが、それ以降の4試合は、3敗1分。
今日の磐田にも負けて5敗目です。
おまけに、8月13日のFC東京に負けて、ネルシーニョ監督が解任されました。(T_T)

ヘッドコーチの吉田孝行が代行監督になったのですが、直ぐに立て直すことは難しいようです。

サッカーが興味ない人に簡単にポドルスキの説明をします。
彼は元ドイツ代表で、4年に1度、世界一の国を決めるワールドカップに 3度、選ばれています。
クラブでは、ドイツのケルンやバイエルン・ミュンヘン 、イギリスのアーセナル、イタリアのインテル・ミラノなど名門クラブを渡り歩き、今年の3月にヴィッセル神戸と契約。
前所属のガラタサライ(トルコ)との契約を6月に終了。
7月からヴィッセル神戸の選手となりました。

世界的に有名なストライカーです。

 

一人、世界的なストライカーが入ったとしても、今のJリーグでは簡単には勝たせてくれません。

それだけ、Jリーグのレベルが伸びているのだと思います。

今日も疲れたから早めに寝ようと思い、22時には消灯したのですが、昨日同様眠れません。

昨夜と同じく、朝4時ごろに親父が起き出してごそごそし始めました(笑)

今日、27日は19時からお通夜です。
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本日は、ここまでです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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2017-08-30

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母親のお通夜と告別式が無事に終わりました。 その1

お通夜、告別式が無事に終わりました。

28日にお通夜。29日に告別式でした。
告別式が終わり次第、自分は東京に戻りました。新幹線車内で、ビールと酎ハイに軽めのおつまみ。

切符の拝見があって、京都駅を出たのまでは覚えています。そこから目覚めたのは、新横浜駅でしたね。

しかし突然でした。

先週の金曜日の朝、7時25分に親父から

「おかーちゃん、死んだ!おかーちゃん、死んだ!」

 

と留守番電話にメッセージが。
いや、その前に1回、電話が掛かってきたのですが、なんか重要な案件なら再び掛かってくるだろう。
と、無視して寝直してました(笑)

たまに、

「ちゃんと飯食っとんのか?」

など、どーでもいいことの電話があったりしてたからです(笑)
ただ、朝一なのが気になったのですが…



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“遂に来たか…”

ベッドから起き上がりリビングのリクライニングチェアに座り、一服。

親父の携帯に掛け直します。

“嘘であってくれ!!!”と願いますが、

 

親父から直接、

「おかーちゃん、死んだから」と…

それだけ言って、電話を一方的に切られました(笑)
 あっちはパニくってるのでしょうね。
そこと打って変わり、なぜか冷静な自分がいました。
もう、お互いに歳です。
(自分は51歳、母親は84歳です)
どこか覚悟を決めてましたね。
と、言うのは、母親は重度な喘息持ち。
もともと、体は強い方ではありませんでした。
それが、1995年の1月17日に起こった
“阪神淡路大震災”で、倒壊した家屋から出た粉塵を吸ったおかげで、ますます酷くなったのです。
隣の本家は、全壊。
自分の家も半壊でしたね。
歳を取ったこともありますが、ここ数年は週に1〜2回、点滴を打ちに病院に行っていました。
享年84歳。

10月10日が誕生日でした。

 

さて、自分はシャワーを浴び、帰阪する準備をします。

仕事柄、常日頃はパンツにTシャツなど軽い服装でいます。
スーツなんか来てスタジオに行ったことはありません(笑)
なので、スーツは冠婚葬祭時のみ。
そうですね、この51年間に40〜50回くらいしか着たことがないでしょうか?
ですので、ワイシャツはしわくちゃ。
独り身ですので、アイロンなんか掛けたことなどありません…
いや、サラリーマンの方々なら、独り身でもアイロンを掛けるか、クリーニングに出すのでしょうが。
当たり前ですが、日付が分かる結婚式と違って、人の死はいつ来るのか分かりません。
入院などあれば、ある程度の覚悟は出来ますが、今回は急でした。
地震と同じですね。
かと、言って、特に防災対策なんかしてません。
いや、一応、AmazonやLOHACOなどで、ペットボトルの水をまとめて買うのですが、いつの間にか飲んじゃってます(笑)

全く意味なしです。。。┐(´ー`)┌ヤレヤレ

東中野駅→新宿駅で中央線に乗り換え、東京駅に。
iPhoneのアプリで調べると、東京駅より品川駅で新幹線に乗り換えた方が早いらしいのですが、
iPhoneやiPadを充電するために必要なコンセントを確保するために、確実に窓側に座れる東京駅から乗ります。
もし窓側の座席が埋まっていたのなら、1本遅らせても確保します。

ま、指定席を買って窓側を選べば問題ないのですがね…

東京駅10時30分発、新大阪駅13時03分着の、のぞみに乗ります。
東京駅を出て、直ぐに姉貴より電話がありました。
デッキに出て会話したのですが、雑音で聞き取りづらかったです。

主な内容は、

・お通夜と告別式の場所は抑えた。
・お坊さんにも連絡を入れた。
・お前は何時ごろに帰ってくるのか?
   てか、もう家から出たのか?

です。

遅くとも14時半前後には帰れると言って電話を切りました。
流石は姉貴です。
俺と違って行動が早い!

ま、当たり前か(笑)

 

時刻通り、新大阪駅に着きました。

東海道山陽本線に乗り換え、尼崎駅に行き、
今度は東西線に乗り換え、御幣島駅で降ります。
あ、尼崎駅で親父から電話が掛かってきました。
「何時ごろに帰ってくるねん?」
声に張りがありません。
「今、尼崎駅やから、もうちょっとや」
「そうか、早よ帰ってきてな」

姉貴に帰る時間を言ったのに伝わってないみたいです。

御幣島駅からは、徒歩で15分くらい歩きます。
結構、歩きますな(笑)
上り坂などなく、マンションまでフラットなのは良いんですけど、アスファルトに太陽の熱が反射して暑いのなんの。

直ぐ汗だくになります。
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ここ、西淀川区御幣島ですが、昔は中小企業の町工場が多くありました。
自分もガキの頃に記憶しています。
今は、その殆どがシャッターを閉められ、寂しい雰囲気を醸し出してますね。

跡取りが居なくなったのか、景気が悪いのかは分かりませんが…

汗だくになりながら、親が住んでいるマンションへ。
合鍵で勝手に開け、廊下突き当たりのリビングに入ると、親父がソファーに腰掛け、半分放心状態でした。
「おおお、よう帰ってきたな! おあおえ○△○☓!!」
 
途中から、何を言ってるのか分からなくなりました。
そういや、親父は、8月31日で90歳!
総入れ歯です。
しかも、今回は興奮してるので尚更です。

ソファーから立ち上がり、その出来事を再現し始めました。

親父は、玄関入って右側の部屋で、このところ寝ているそうです。
で、母親は、リビング横の4畳半の和室で。
日課として、親父は朝6時に散歩に出かけます。
20分ほどで帰宅。
再び、部屋に戻り新聞を読みます。
母親は、だいたい6時30分ごろから朝飯の準備を。
しかし、この日は台所から聞こえるはずの朝飯を作る音がなかったそうです。
親父は、“今日は、ちょっと疲れてるのかな?ならば少し寝させてあげよう”
と、したのですが、10分経っても音がしないので不思議に思い、和室へ。
そこには、左下になり、倒れてる母親が。

慌てて揺すったのですが、返事はなし。

電話で姉貴を呼びます。
姉貴夫婦は、自転車で10分ぐらいの場所に暮らしてます。
到着した姉貴は、消防署に連絡。
レスキュー隊が来たのですか、既に死んでるとのことでした。
その後、刑事と鑑識併せて7人ほど来て、現場検証。
バシバシと写真を撮って帰ったそうです。

事件性があるかどうかで、何点か質問したそうですが、ま、形式的なもんですな。

親父が言ってたのですが、同じ死ぬんやったら病院がええと。
何故なら病院は、医者が死亡の判断を下すと、後はスムーズに事が運びます。
が、病院以外だと、事件性があるため、警察が来て検視をしなければなりません。

そして遺体を警察の安置施設に運びます。

親父は

「早よ、会いたい!早よ、会いたい!」

 

といい、可能なのか警察署に電話するのですか、当然無理。
先方も手慣れたもんだか、丁寧に説明してくれます。
幾度も受話器を握りしめ、頭を下げる親父。

気持ちは分かります。

そうこうしてるうちに、姉貴が次女を連れて来ました。
次女は33歳くらいだったかな?
長男、長女、次女の3人で3人とも結婚してます。
次女だけ子供はいません。
今は名古屋に旦那と住んでます。
ん、何で、ここに居るんや?
姉貴がわざわざ呼んだのかな?
てか、働いてないんかよ。
これ、今書いてる途中に気づきました(笑)

その時は、なんも思いませんでしたね。

姉貴と次女ですが、自分との挨拶は程々に
リビングにある小さな金庫を物色しだします。
保険関係や銀行通帳など金目のものを探し出してるのです。
アフ○ックや共済などの契約書を見つけて、姉貴の旦那へ。
それぞれの契約内容を確認するためです。
 
本当は、自分も手伝だわなくては行けないのですが、金庫が置いあるリビングは、広くもなく、逆に邪魔がられるので親父と一緒にソファーに座ってました。
でもね、姉貴の気持ちも分かるんですよ。
葬儀などの見積書を見せてもらったのですが、
全て合わせて約120万円ちょっとでした。
それでも、一番安い方です。
で、掻き集めて、やっと60万円ぐらい。
全然足りないのです…
自分ですか?

恥ずかしながら、全くありません(笑)

 

姉貴も、それを知ってるから、自分に向かって一切お金の話はしませんでしたね。
お恥ずかしいことです。

親父がボソッと

 

“世の中は金やな”

 

 

全くその通りですな。
だいたい、こういう事案で親兄弟が揉めるんでしょうね。
誰がいくら出す、出さない!とかで。

納得です(笑)

晩御飯ですが、当然ながら今まで作ってくれてた母親は居ません。
姉貴が近くのスーパーで買ってきてたパックの寿司を親父は、頬張りつきます。
つっても、そんなに食欲はないか。。。
自分と姉貴と次女の3人は近くにあるファミレスに行きます。
入るなり、次女が店の人に
「禁煙席でお願いします!」
と、勝手に言い出しました(笑)
 
いや、タバコが嫌いなのは分かりますよ。
でも、一言ぐらいは聞いてほしかったな。
しかも、こっちはgloという臭いが余りしない感熱式タバコなのに。
今の子は、こうなのか、育て方が間違ってるのか…
完璧に上目線です(笑)

「金の無い屑なお母さんの弟!」

て、思ってるのかもね(笑)

ファミレスに入ったのが19時だったかな?
お腹は空いてるんですけどね。。。
食う気力が湧きません。
とりあえず、中生を飲みます。
姉貴とは、今朝のことなどの話を聞きます。
何も食べずに、中生は3杯目に差し掛かります。
心配したのか、姉貴がなんか食えと。
ビールからレモンサワーに切り替えたところで、その店お薦めの和定食を注文。
それついでに、枝豆などのおつまみも。
食欲は若干ですが、湧いてきました。
レモンサワーも3杯は飲んだのかな?
こういう所のチューハイは、やたら甘いしアルコールも薄いです。
そこに、親父から電話が。
“まだ帰ってこうへんのか?”

と。

一人だと淋しいのでしょうか。

盛り上がり掛けた話を辞めて店を出ました。

ファミレスを出たのが21時。

それから、コンビニに行き、チューハイ2本とおつまみを買い、2人と別れてマンションに帰ってきました。

親父は、まだ、起きてました。
年取ってから寝るのが、だいたい20時半過ぎで、朝の4時過ぎに起きて、ゴミ捨てなど、ごそごそし始めます。
で、6時過ぎに散歩へ。
今日は、寝つけないのでしょう。

自分が帰ってくるのを待ってました。

しばらくたわいもないことを話したら、ベッドのある部屋へと向かいました。
飲み足りない自分は、買ってきた缶チューハイを飲んで、寝ようと思ったのですが、なかなか寝れず、結局、親父がごそごそし始める4時過ぎまで起きていたと思います。

 

 

今日は、ここまでです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2017-08-29
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母が亡くなりました。

突然ですが、昨日の朝7時半頃に母が亡くなりました
網膜剥離の3回目を下書きしてたのですが、しばらく休みます。

自宅で亡くなったので、遺体は近くの警察署に安置されています。
一応、事件性がないのか調べるそうです。

なので、自分はまだ母親と会っておりません。

不思議なことに、数年に1度、実家に帰るかどうかでした。

それが、今年は1月中旬と、神戸でサッカーを見た後の7月下旬に帰りました。

また、iPhoneの留守電に母のメッセージが何故か消去されず残っていました。

式の段取りは、姉夫婦に任せきりです。
この辺は、本当に情けない…

網膜剥離で左目の視力を失いかけてることは、母親には知らせていませんでした。

上記に書いた通り、母親には、まだ会っておりません。
早ければ、今日の昼過ぎになると思います。

今は、気が抜けた不思議な感じに包まれています。
母親が、いつも居たリビングで、これを書いています。

親父と俺の二人っきり。
親父は、憔悴して寝室に行きました。

母親と対面すると押さえつけられていた感情が爆発しそうです。

長男なので喪主を務めます。
何をしていいのか、正直分かりません…

次は、いつ更新出来るか分かりませんが、よろしくお願いします。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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網膜剥離(硝子体手術)1度目の手術です。

2015年6月4日

突然、

“明日しましょう​”​

と言われたので、いよいよという覚悟でもなく、バタバタと用意に追われ当日を迎えました。

10時に1階の入院受付で手続きをして、
15階の病室に案内され、即点滴です。

当然、飯抜き。

空腹と闘うより、緊張の方が勝ります。



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一応、手術前に、別室で手順を説明されるのですが、よく分かりません(笑)

 

左目下に麻酔をして何たらかんたら。

 

昔、バイクの事故で左鎖骨を折って手術したのですが、その時は全身麻酔だったので、気がつけばベッドの上で寝てました。

 

今度は局所麻酔です。

て、ことは、手術中の音が聞こえる訳ですね。

てか、針を目に刺すのを想像しただけで痛いです(笑)

さて、網膜剥離の手術には、二通りあります。
 

“硝子体手術”と“バックリング手術”です。

 

眼球に針を刺し、剥がれた網膜を元にもどすのが

“硝子体手術”

網膜の剥がれた部分を、眼球の中からくっつける方法で、硝子体に出血がみられる方でも行うことができます。
目の下の部分に注射で局所麻酔を行います。
硝子体を切除し、硝子体や網膜をひっぱっている組織を除去した後、眼球内にガスを満たします。
網膜の剥がれている部分を風船のように膨らませて、網膜にくっつけます。
その後、網膜光凝固術を行い、網膜をくっつけます。

https://www.c-notes.jp/diseases/detached_retina/cures/3

眼球の周りにバンドをして、剥がれた網膜を貼り付け固定するのが

“バックリング手術”

ま、眼球を水の入った風船と思ってください。

その風船を握ると押しつぶされて、握ってない箇所に水が逃げますよね。
その逃げた所に網膜を充てるのです。

眼球を握ってる訳にはいかないので、バンドで縛ります。

眼球の外側にシリコンスポンジを縫いつけて、眼球をへこませることで網膜を正常な位置に戻します。その後、網膜裂孔のまわりを固めてふさぎます(冷凍凝固)。
網膜の下にたまった液体が多い場合には、強膜側から針のような穴を開けて外に出します。

https://www.c-notes.jp/diseases/detached_retina/cures/2

どっちが良いのかは、素人には分かりません。
その病院に寄っての判断だと思います。
 

ここは前者でした。

 

“硝子体手術”ではなく“バックリング手術”だとしても受け入れてたでしょうね。

 

てか、素人の自分には医師の言うがままでした。

 

この時点で、どっちが良いのとか、どっちが痛くないのとか、分かる訳がありません(笑)

 

後で調べたら、“硝子体手術”より“バックリング手術”の方が古いらしいのと“硝子体手術”の方が技術を伴うらしいです。

 

話を戻します。




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緊張した自分をよそに手慣れた感じで手術の準備は進んでいきます。

 

て、当たり前か。

 

病室で薬を飲み、点眼し点滴をさします。

 

手術前に3回くらい点眼したのかな。

 

その都度、看護師さんが来てさしてくれました。

 

後は待機です。

 

時間が経つのが長いような短いような…

“無事に終わりますように”とミサンガを巻きました。


​ 
15時頃かな。

 

病室から車椅子で階下の手術室へ移動。
平素を保ってても心臓は、

バクバクです(笑)

手術が好きな人なんか居るわけないですよね(笑)

手術室手前の部屋で一人しばらく待機です。

15分ぐらいでしょうか、奥から看護師の方が来て
名前、生年月日、何処を手術するのか?と最終確認をします。

そしてまた、待機です。

当たり前ですが、手術室の前は、殆ど無音状態。

これが嫌なんですわ…

聞こえるのは、自動ドアの開け閉め音のみ。

嫌な空気が流れます(笑)

10分ぐらいしたら、先ほどの看護師さんと手術を担当するスタッフが来ました。

手術担当とその助手に、麻酔担当含め5人ぐらいだったと思います。

 

手術担当は、診察をしてくれたM先生。

 

助手は、午前中、これから行う手術を説明してくれた若い研修医くん。

 

この子が将来、手術を任され、偉くなっていくのですね。
そして“白い巨塔”の世界に…

 

と、勝手に想像を膨らませていきます(笑)

 
先生たちに

 

「よろしくお願いします」
「頑張りましょう」

 

とか言われたのかな?

緊張のためか、あんまり覚えてないです。

 
で、そのまま手術室へ。

 

心臓バクバクですね。

 

なぜが「ターミネーター」の音楽が頭の中で鳴ってます。

 
♪ダダン ダ ダ ダン
ダダン ダ ダ ダン

チャララーン チャチャチャン

 

職業病ですな…(笑)

 

何かにつけ、頭の中に音楽や効果音が流れるのです(笑)

 
大病院なので、幾つか手術室がありました。
その一室に入ったら、手術台は2つ。

 

テレビなどで見る手術室とは、ちょっと違います。

 

まあ、外科手術するわけではないですからね。

 

入った途端、冷房を効かせてるので若干寒気が。

 

手前の手術台には、終わったばかりの先客(笑)がおりました。
しばらく安静にしとくのでしょう。

 

自分はその奥の手術台に運ばれます。

 

「車椅子から降りて手術台に横になってください」

もう、この辺りから

“まな板の鯉”

状態です。

逆らうと負けです(笑)

 

麻酔担当者が手際よく左目下に注射。

 

昨夜、ネットで“硝子体手術”について調べたのですが、一番痛かったのが、この麻酔と書いてました。

 

自分の場合、麻酔師が上手かったのか、余り痛みは感じなかったですね。

 

慣れた手つきでブシューと。

 
麻酔が効く間、胸元を開けられ心電図用の吸盤を充てられたり、血圧を測るために腕帯を左腕に巻かれたりなどの準備に入ります。

その後、

両手を手術台縛られます。

 

本郷猛が仮面ライダーに改造される前ですな(笑)

“ぎーーー!”

 
 
首から上も固定されます。

どうやって固定されたのか見えないので分かりませんが。

 

心の中で

“うおおお!!!”

と叫び、

鼻とかが痒くなったらどうしようとか、
くしゃみしたい場合はどうすればええん?とか、
地震が来たら終わりやなとか、不安な事ばかりが頭をよぎります(笑)

 
だから、局所麻酔は嫌なんですわ。

全身麻酔だったら、もう寝てるのに…

 
 
次は、左目部分があいた薄緑色したシートを
顔に被せられます。

 

そしてしばらく待機。

 

その間、先生たちは準備をしています。

 

シートを被せられてるので音だけの世界です。

 

左目は暗い感じでしたね。

 

先生が左目横を押したのでしょうか。

 

「感じます?」

 

と、聞いてきました。

 

「いいえ」

 

と、答えたら、準備完了。

 
…なんですが、緊張のため、血圧が上昇します(笑)

 

元々、高血圧持ちで緊張にはめちゃくちゃ弱いタイプなのです(笑)

看護師さんから

 

「息を大きく吸いましょう」

 

と言われるのですが、言われれば言われるほど緊張してしまいます。

 

落ち着け!と言われてもね…

 
4〜5回、深呼吸したのでしょうか。

少し血圧が下がったので、再開。

 
左目の周りに目が閉じないよう、クリップをつけられます。
そして、ライトをオン!

目の前が真っ白に。

 
何をしているのか、さっぱり分かりませんが、
器具のカチャカチャ音と何かのモーター音、そして手術室全体に流れてるクラシック音楽。

 

出来れば、クラシック音楽はもう少し大きくしてもらいたかったな〜(笑)

 
真っ白の中、黒い影が動くのが分かります。

 

なんかやってんだなって感じ。

 

多分もう、眼球に針が刺さってるんやろな。

 
手術が始まってから、時間がどれ位経ったのか、
当然時計など見れるわけがありません。

 

なので、血圧を測るためにしている腕帯が左腕をしめつける回数を数えます。

 

10分に一回だったかな?

 

時間の流れが遅いです。

 
モーター音は嫌でしたね。

 

スイッチを入れるたびに、コンプレッサーの動作音みたいな音がします。

 

グゥイイイーーーンてな感じ。

 

それと先生が指示してる声。

 

目の手術ですから、耳もとにある器具の音もよく聞こえます。

 
手術開始30分ほどでしょうか。

 

麻酔をしてるはずなのに目の奥が痛み出しました。

 

堪えきれず、先生に

 「痛いんですけど」

 

と、言うと、先生は麻酔の担当者に何かを何cc足してと指示。

痛みが和らいできました。

 

それでも完全になくなったわけではないのですが…

これはもう我慢なのかなと。

 

手術後に書いた日記です。 

「手術は57分ほどで無事に終了。

今、病室のベッドから書いている。
若干、目に違和感が残るが時間が解決してくれるだろう。
術中は不思議な感じ。
北斎の絵じゃないが、肌色のバックから強烈な光が差し込み左から右側に墨汁が撒かれた感じがしたり、下3分の2ぐらいを血液が波のように移動したりと、とても興味深かった。
胎内にいる赤ん坊はこんな映像を見てるのかも知れないな。
素晴らしいけど、2度と経験したくないねw」

 
術後、しばらく安静にして、再び車椅子に乗せられ病室に戻ります。

 

眼球内にはガスが入れられており、そのガスが上に上に逃げようとします。
それを利用して網膜を安定させるのです。

 

そのため、先生の許可が出るまではうつ伏せで寝なければなりません。

 

一応、息が出来るように、Uの形をした特殊な枕を貸してくれるのですが、これが結構辛いのです。

 

Uの形をした枕を逆さまにして寝ます。

 

寝てる間に息苦しくなり、自然と顔が横向きになります。

 

そうすると、看護師さんから注意され再びうつ伏せに(笑)

 

これ、飯やトイレ以外は、ずーっとこの状態。

 

歩く時も飯食うときも下向きで、との指示です。

 

ま、上向いて飯は食いませんが(笑)

 
少しの時間ならスマホをいじるのはOKとの事。

 

これは、ありがたかった。

だって、それしか楽しむことはないからね。

 

今日は、ここまでです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

2017-08-24


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始めまして!

昭和生まれのオヤジです。

今日からブログを書いていこうと思います。

何故、ブログを開設したのか?

それは、数年前からiPhoneのアプリ“DayOne”で日記を書いていたのですが、
ネットなどの情報に寄ると、年間の維持費が高額になるかも知れず、払えない人は、サーバーから削除される恐れがあるらしいのです。

直ぐにという訳ではないにしろ、覚悟は必要。
(このアプリ自体、無料で落としたので文句は言えませんが…)

なので、“DayOne”で書いていた日記を徐々にですが、このブログに書き写したいと思います。

 



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さて、記事は様々ですが、主に“目”の事が多いと思います。

自分は、3年前の6月に左目を

“網膜剥離”

http://www.nichigan.or.jp/public/disease/momaku_hakuri.jsp

になり、

“硝子体手術”

http://www.dm-net.co.jp/metokenko/feature/24/

をしました。

また、約1年を掛け5回手術をしました。

何故5回も!?

 

その辺の事を数回に分けて書いていきたいと思います。
残念ながら、左目は完治しておりません。

 

いや、もうこれ以上は良くならないと執刀医に言われました。

 

眼科以外にも言えることですが、やはり初動は大切だと痛感させられました。

 

失った代償は余りにも大きすぎましたね。

 

これから、網膜剥離の手術をする人に少しでも情報が伝われば幸いです。

 

 

他には、サッカー
(神戸育ちなのでヴィッセル神戸のサポーターです。現在は東京在住)
と仕事と飼い猫の事も機会があれば書きたいと思います。

 

網膜剥離を語る前に自分の職業を簡単に説明したいと思います。

自分の職は“音響効果”です。

 

「何それ?」

 

って方に簡単に説明しますね。

 
テレビ番組や企業用の宣伝ビデオ(VPと言います)などに音楽や効果音を充てる仕事です。

 

音楽は作曲しません。
いや、出来ません…(笑)
市販されているCDや著作権フリー音源などから映像にあった音楽を選び、尺を編集したりします。
テレビ局(特に地上波)はJASRACと包括契約をしており、JASRAC及び日本レコード協会と契約している音源は基本的に使えます。
逆にVPは、よほどのことが無い限り版権フリー音源を使用しますね。

版権フリー音源と言ってもまちまちです。
昔は、年単位で契約してました。
大体、1レーベル年60万円ぐらいでしたね。
今は、1曲3千円前後で売ってたりします。
iTunesなどと同じ、ダウンロード販売です。

 

え!目より耳の方が大事だって!?

 

まあ、その通りなんですが、ここ20年程前から
デジタル化が進み、モニター上に音源が波形で示されるようになり編集しやすくなりました。
その昔は、テープ(6ミリ幅のオープンリール)にハサミを入れスプライシング・テープで音楽を繋いでいたものです。
何度も繋ぎ直すと、テープに手の脂が着いてしまい音がフニャフニャになります。
その度に、レコードもしくはCDから音楽をコピーし直してました。
ポテチを食いながら作業なんてとんでもない。
上司に見つかったら大変なことになります(笑)
それも、デジタル化になり、ずいぶんと楽になりましたね。

“undo”と言って、何回もやり直しが出来ますし、音に劣化がありません。
もちろん、ハードディスクに元の音は保存されていますので、それ自体を消さない限り、何度でも試行錯誤が出来ます。
しかし、キーボードが汚れるのでポテチは食べませんが…(笑)

自分の使用しているDAW(デジタル・ワーク・ステーションと言います)は、

“ProTools”

https://ja.wikipedia.org/wiki/Pro_Tools

と言ってこの業界では定番のソフトです。

テレビ番組以外でも、映画や音楽制作でもお馴染みですね。
この辺の話も機会があれば書いていきたいと思います。
 

 

ProToolsの編集画面です。
ProToolsの編集画面です。

 

 

“目”の話に戻りたいと思います。

 

それは2015年5月下旬に起こりました。

某BS局でサッカー中継の仕事しており、そこに行くための支度をしている時です。
左目の上1/3が黒く欠けてることに気づいたのです。
最初は、コンタクトレンズを着けっぱなしで寝たため、眼球に傷が入ったのだと思いました。
以前にも同様の事があり、数日で自然に治るだろうと軽く考えてたのですが…
日に日に黒く欠けた部分が広がり始めたのです。
 

これは、まずいな…と

 
それでも楽観視している自分がいました(笑)

 

6月1日に近所の眼科で受診しました。
そこでは、よくわからないとのことで、
某大学病院を紹介してもらいました。
 

余談ですが、この眼科で受診中、瞳孔を開くために点眼剤をさしたのですが、

左目が真っ暗闇に!

帰る時、ムチャクチャ怖かったな〜(笑)
目を閉じてるのならいざ知らず、開けてて真っ暗やもん。
もしかしたら、一生モノかと思うと頭が真っ白になりましたね。

紹介状をもらったのが、6月3日でした。
その足で、サッカー中継の打ち上げのために、渋谷に行きました。
朝の5時ぐらいですかね。
3次会のカラオケまでおり、電車で帰宅しました。

 

数時間、仮眠して紹介された大学病院へ。
場所は新宿です。
最初は、

“こんなとこに病院なんかあったんや”

 

てな感想。

 

つか、地下鉄の大江戸線が最寄り駅なんですけど、そこから結構歩きます。

 

ただでさえ方向音痴なのに…

 

迷いながら15分以上歩いたでしょうか、やっとの思いで到着。

 

受付で手続きをして、2階にある眼科へ向かいます。

 

 

視力検査から始まり、眼底検査、視野検査と続いて行きます。
当たり前ですが、初めて目にする検査器ばかりです。
ビビリの自分は、その器機の前で躊躇します(笑)
と、大げさに書いてますが、一切痛くも痒くもなく、
ただたんに検査器音にビビっているだけでした。。。
 
さて、そんな検査も1時間ほどで終了。
待合室のソファーで座ってると、看護師さんに呼ばれ、診査室に。

いくつ診査室があったのか覚えていませんが、正面向かって右側に入ります。

ある意味、ここで自分の運命が決まってしまったのかも知れません。。。


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自分の担当医はM先生。

腕が毛深いのが印象的でした。

 
カルテを見て一言

「網膜剥離です」

 

網膜剥離?

 

 

聞いたことがあるけど、なんだっけ?

あ、ボクサーの辰吉丈一郎がなったな。
え、自分、殴り合いなんてしてへんぞ!
 

頭の中がグルグル回ります。

 

自分  
「あの〜原因は何でしょうか?」

 

M先生
「加齢と強度近視ですね」

 

強度近視か!

 
 

自分は中学生の時から眼鏡を掛け始めました。

ええ、親が寝静まったのを見計らって、”11PM”や
サンテレビで放送してた”おとなの子守唄”

等を見ていたせいでしょうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/11PM

https://ja.wikipedia.org/wiki/おとなの子守唄

どんどん視力が落ちて行ったのです。

決して、勉学のせいではありません(笑)

あ〜、アホな青春を過ごしたな〜

 
M先生
「網膜剥離の手術は早ければ早いほど回復します。どうでしょう、今日の午後にでも」
 
自分
「いやいやいや、それは無理です。
着替えなど何も用意してませんから」

 
てか、心の準備も出来てません。
シャワーぐらい入らせろ!

…と、バカなことを考えてる場合ではないよな。

 
 

M先生
「では、明日にしましょう」

 
と、言うことで診察室を出て、手術前の準備として、採血や、心電図検査などをし、

1階で入院受付をして、地元に戻ってきたのが13時頃だったと思います。

さて、一番の問題は手術費と入院費。
二番目は、飼ってる猫の世話です。

この際、仕事の事なんか忘れていましたね。

 
行きつけのカラオケスナックに昼ごはんを食べに入りました。

 

この店は、基本、夜からなんですが、平日はランチもやってます。

 

何を注文したのか、全く覚えていません。

 

自分より3〜4歳ほど年上のママが従業員1人とで営業しています。

 
食事をしながら、これまでの経緯を説明。
猫の世話ならやってあげるよと。

 

ありがたいです!

実は、このママ、野良猫の去勢手術などをするNPO団体におり、大の猫好きなのです。

 
 
家に帰り、明日の準備をします。
正直言って怖いです。
だって、眼球に針を刺すんでしょう。

映画“サンゲリア”を思い出します。

怖くて見てないけど…(笑)

 

今日はここまでです。
だって、目が乾くんだもん。
次からは、日記アプリを参照しながら書いていきたいと思います。

 

2017-08-22



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