スタジアム巡り、第7回は、
フクダ電子アリーナです。



通称“フクアリ”
収容人数は、18,500人。
球技専用スタジアムです。
J2のジェフユナイテッド市原・千葉のホームです。
Jリーグ創設時のオリジナル10の1クラブでもあります。
オリ10で、未だ降格していないのは、
鹿島アントラーズと横浜F・マリノスの2チームだけになってしまいました。
それだけ、Jリーグは激しいリーグなのでしょうか?
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さて、ジェフユナイテッド市原・千葉ですが、2009年に18位の成績で降格しました。
翌、2010年から舞台をJ2に移して以来、未だに昇格しておりません。。。
子供だと、小学生1年生ですね。
長い…
今の若い子は知らないかもしれませんが、
元は、
“古河電気工業サッカー部”
名門中の名門だったのですよ。
Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎氏を始め、
奥寺康彦氏、岡田武史氏など、日本サッカーを代表する蒼々たるメンバーが居ました。
それが今じゃ…
やはり、JR東日本と組んだのがダメになった元なのでしょうか?
素人社長が来て、クラブ内をひっちゃかめっちゃかにしたとか、しなかったとか…
真相は、よく分かりません。
さて、Jリーグが出来た1993年、チケットはプラチナ化とかし、入手するのは至難の業でした。
いやー、スタジアム内のチヤホーンが煩かったこと(笑)
で、自分が初めて生で見た試合が、
“市原緑地運動公園臨海競技場”
で、行われたジェフユナイテッド市原と、どこかの対戦でした。
対戦相手は、どこだったのでしょう?
エスパルスだったかな。。。
全く記憶にございません(笑)
ただ、頭の中に残ってるのは、スタジアムまで遠かったな〜てこと。
JR内房線の五井駅ですからね〜
どうやって行ったんだっけ。。。
確か、東京駅から総武本線に乗り換えたのかな。
あ、地下だ。
地下から出てる電車だ!
そうそう、あの地下がやたら歩くんだわ。
一駅ぐらい歩くんだよね(笑)
いや、それだけでお疲れです。
地下ですからね、景色なんてないんですわ。
あるのは、壁に掛かっている看板。
うん、思い出してきたぞ(笑)
今調べたら、フクダ電子アリーナのある蘇我駅とそんなに変わらないのですね。
ただ、市原緑地運動公園臨海競技場の場合は、駅からバスでした。
歩くと30分は掛かるそうで。
ここには、3〜4回来たのかな?
フクダ電子アリーナへは、JR総武線快速で行き
蘇我駅で降ります。
スタジアムへは、徒歩で8〜10分ぐらいです。
非常に立地に恵まれています。








では、何でJEFの試合を観に行ってたのでしょうか?
それは、以前勤めていたスタジオの先輩がサッカー好きだったからです。
自分は、1986年メキシコで行われたワールドカップからサッカーに興味を持ち始めました。
そう、あの
“ディエゴ・マラドーナ”
が、大活躍した大会です!
イングランド戦での5人抜き。
神の右手
など、話題に事欠かなかったマラドーナ。
その大会は、マラドーナの大活躍もあって、アルゼンチンが優勝したのです。
眠い目を擦って、BS-NHKの中継を食い入るように見てましたね。
「マラドーナ、マラドーナ、 マラドーナ!」
あの時の実況の声が今でも響きます(笑)
その時、アルゼンチン代表のユニフォームサプライヤーはフランスのルコック(le coq)でした。
初めて見る胸のロゴ。
アルゼンチン代表の空色と白のピンストライプのユニフォームの左胸には
“鶏”
が、いたのです!
セカンド用の青いユニフォームも格好良かったな〜
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それからです。
その先輩とアルゼンチン代表のユニフォームを探しに都内各所へ出掛けました。
今は、レプユニなんて、ちょっと大きめなスポーツショップに行けば買えるし、ネットでもコアな国のレプユニは簡単に買える時代。
しかし、当時はそうは行きませんでした(笑)
サッカー好きの先輩から、原宿にある店を教えてもらいました。
表参道横にある雑居ビルです。
何階かは忘れましたが、一室にレプユニを取り扱うショップがあったのです!
残念ながら、アルゼンチン代表のレプユニはありませんでした。
定員さんによると、いつかは約束出来ないが、入荷するとのこと。
紙に電話番号を書いて店を後にしました。
それから、数ヶ月後。
予約してることをすっかり忘れていた時期に「レプユニが入荷した」とのメッセージが留守番電話に。
勇んで行くのですが、ルコックではなく、ロッカーという聞いたことのないメーカーでした。
「これは、これでレア物だよ」
と、定員さんは言うのですが…
折角なので、購入。
レプユニが1万円以上もするなんて、当時は知りませんでしたね(笑)
おまけで、メキシコワールドカップのキーホルダーを大量に貰いました。
まだまだ、当時は世界のスポーツ界では、サッカーが盛んと言うことを日本人は殆ど知らない時代でした。
その数年後に日本でもサッカーがプロ化されるのです。
で、その先輩ですが、出身は静岡。
普通なら、
“清水エスパルス”
のサポになると思いきや、
なんと、
“ジェフユナイテッド市原”に。
どうしてなんでしようか?
それは、ジェフに元ドイツ代表の
“ピエール・リトバルスキー”
が、入団したからです。
ジーコ、リネカー、ディアス、
そして、リトバルスキー
当時のJリーグはバブルでしたね(笑)
そのリトバルスキー見たさで、
“市原緑地運動公園臨海競技場”
に、行ったのでした。
当時の自分ですか?
その先輩からは、
「お前、どこのサポになるの?」
と、よく聞かれましたね。
磯貝が入ったガンバ大阪にしようかな、
YAMAHAのFZR250に乗っていたから
ヤマハにしようかな。
(当時は、まだJFLでした)
いや、神戸に出来るのを待つかな。
それ、いったいいつになるんやろ?
と、考えていましたね。
とりあえず、ガンバのレプユニは買いました(笑)

う~~~ん(笑)
でもさ、当時のJクラブのユニフォームサプライヤーは、一括してミズノでした。
そのデザインがダサいのなんの(笑)
カップ戦は自由なんでしたっけ?
確か、名古屋グランパスエイトは
ルコックだったと記憶にあります。
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さて、話が大きく逸れてしまいました(笑)
“フクダ電子アリーナ”
ですね。
ここには、2013年から行っていません。
ええ、理由は単純。
行く機会がないからです(笑)
それと、個人的には、あまり好きなスタジアムではありません。
その理由として
とにかく
“暗い”
のです。
まず、駅を降りてからスタジアムに向かうまで、
その先の工場の煙突が見え隠れします。
あの独特な煙突を見ると、なぜか、どよーんとした空気が。
空が曇っていると尚更です。
なんか、気分が落ち込むのです…
これは、自分だけでしょうね。

それから、スタジアム内の照明が暗い。
何でも、スタジアムが出来た時の初練習で、
選手達から照明が明るすぎるから、
もう少し落としてほしいとの要望があったとか。
フィールド内はもとより、観客席の足下も暗いんです。
観客席の傾斜は、問題ないですね。
ただ、椅子がちゃちいです(笑)
それと、オーロラビジョンがアウェーゴール裏の一カ所しかありません。

少ない予算で建てたから仕方ない部分はありますが。。。
逆にこの予算(当時81億円)で完成させたのは凄いことだと思います。
今回は、スタジアムを語るより、自分の思い出話ばかりになりましたね。
あ、いつもか…
(^_^;)



名物のソーセージ盛を、また食べたいから、早く昇格してきてください!
あ、入れ替えでうちが落ちたりして…(笑)
( ゚Д゚)












2017-09-26