月別アーカイブ: 2017年9月

2回目の入院中に食べた病院食の写真を。

まず、最初に格闘家の高山善廣選手について。
格闘技ファンなら、高山選手の事故についてネットなどでご存知かと思われます。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170904-00000071-dal-fight

実は、自分、30年ほど前に、格闘技関係の仕事をしていました。
この仕事は15年ほどしていましたね。

試合を収めたセルビデオやDVDに音楽(選曲)を付け、ミキシングの作業もしていました。

当時は、第二次UWFが日本中で大ブームとなったものです。

1989年11月29日に東京ドームで行われた興行で、自分が選曲した音楽がドーム内に流れた時は、一人で興奮してましたね(笑)

その辺の話もいずれ書ければと思います。

第二次UWFが解散して、リングス、藤原組、UWFインターナショナルの3つに団体は分かれました。
その他は、W★INGや大日本プロレスなども仕込みました。

FMWも少しですが、旗揚げ間近の頃、やりましたね。

スタジオの先輩と汐留(当時は何もなく、空き地でした)で、日本初、いや世界初の

“有刺鉄線電流爆発マッチ”

を観ました(笑)

よく、他の方から

“日本で一番、後楽園ホールの仕事をやってる(笑)”

と、言われたもんです(笑)

プロレス以外は、合気道、空手、シュートボクシングなどです。

よく、バックヤードに入ったり、試合を観たりしたものです。

小学生から、プロレスが好きだったので、
天職だと思ったくらいでした(笑)

UWFインターナショナルの武道館大会だったかな。

激しい試合が終わって、控え室横の階段に腰掛けてる高山選手に

「お疲れさまです」

と、声を掛けたら、

「ありがとうございます!」

と、ぜいぜい息を切らしながら返してくれました。

今でも、その場面が頭に残っています。
歳も1966年と同じだったんですね。

リハビリ、大変やと思いますが、頑張ってください!

 

 



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さて、ここで2回目の入院中に食べた病院食の写真を。

6月23日の昼食です。

術後に食べたので、遅めの時間だったと思います。

6月23日の夕食です。

6月24日の朝食です。

6月24日の昼食です。

6月24日の夕食です。

6月25日の朝食です。

6月25日の昼食です。

6月25日の夕食です。

6月26日の朝食です。

6月26日の昼食です。

6月26日の夕食です。

6月27日の朝食です。

6月27日の昼食です。

6月27日の夕食です。

6月28日の朝食です。

常食なのですが、量が少ない!(笑)

先生から許可が出て、直ぐに地下の売店に走りましたね(笑)

15階の病室から。夕焼けが綺麗ですね。

21時に消灯。当然、寝れません(笑)

エレベーター内でパシャリ。

 


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28日は、朝食を食べてから退院しました。

枕元にある青いのがうつ伏せ時に使う枕です。
この写真じゃ分かりにくいですが。。。

6月28日6時30分。退院日の朝です。外は、快晴でした。

1階にある、受付で会計をして退院しました。
今回の入院費を貼っておきますね。

白内障手術で、眼内レンズを埋め込んだので、前回より高いですね…
これもクレジットカードで支払いました。

いやー、ヤバいっすよ。。。

6月29日の日記です。

「退院初日。
軽くエフ◯東◯さんの仕事。
あとは特になし。
本格的に動くのは今日からの予定。
今は何も考えたくないししたくない。
時たま手術した左目がヒリヒリする。
大丈夫なのか?
さっき、歯が急に痛くなった。
いろんな箇所でガタが来ている。
これからの人生どうなる?
難しく考えたってどうにもならんし、
とにかくうつ伏せで寝よう、そうしよう。」

何もしたくないと言っても、最低限の仕込みはしないと食っていけません…(笑)
“JA全農”のVPの仕込みですね。
7月3日のMAに向けて仕込んでました。

MAとは

http://www.mobercial.com/article/aboutma/

ナレーションを担当したのが田畑智子さん。
行き違いで、会えなかったのは残念でしたね。

 

 

6月30日24時30分の日記です。

「左目大丈夫かな?
一回目の手術後と同じで殆ど見えないねんけど…
怖いよ〜
もし、また再手術と言われたらどうする?
病院替える?
う〜ん、参ったな〜
次(7月1日)の診断まで、
ある程度回復してるのだろうか?
不安である。
こういう時、一人って寂しいね〜」

ビビってますね〜

当たり前か(笑)
​ 
​ 
6月30日23時に書いた日記です。

「明日は退院後初の検診。
朝の9時から。
前回の検診時は、再剥離が見られたので、即再手術。
さて、今回はどうなるか?
けっこうドキドキしてるw
いやー、3回目は勘弁してほしいよ。
ここまで手術費こみで約41万円…
とほほ、どうやって払っていけばいいのやら…
(; ´༎ຶД༎ຶ`)
高額医療制度の申請手続き用紙が送られてくるのは3ヶ月先。
で、振込は早くて10月頃の予定…
もっと早くなんないのかね?
役所はノンビリしてるなw
あ、◯野さんから電話があって “世◯遺◯”は2本あるらしい。
他のディレクターでも構わないから、もっと欲しいな」

 

さて、次の検診は7月1日。
それまでは、自宅で安静です。

 

今日は、ここまでです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2017-09-06



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2度目の網膜剥離(硝子体手術)

2015年6月23日。

今日は、2度目の網膜剥離(硝子体手術)です。

さて、昨日のブログに、

“ガスではなく、シリコンオイルを入れるかも?”

と、書いてますね。

1回目の手術の時は、ガスを入れました。

これは、数日すると自然と吸収され目の中の液体に徐々に置き換えられます。

シリコンオイルの場合は、網膜が固定するまで、入れっぱなし。
網膜が安定した数ヶ月後に、

シリコンオイルを抜く手術をしなければなりません。

 

これ以上、手術は避けたいのですが、その辺は、執刀医の判断に委ねられます。




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当日、朝の日記です。

「オペまで30分を切りました!
さあ、行こうぜ!」

威勢がいいのか、空元気なのか?
後者だと思います(笑)

前回は、手術の後半に痛み出しました。
執刀医に言って、麻酔を足してもらい、痛みを和らげてくれました。
100%痛みは引かないものの、我慢出来ました。

今回も、痛むのでょうか?

その場合も、前回同様、頼めば麻酔を足してくれるでしょう。

11時。

予定時刻通り、2回目の手術が始まりました。

1度経験してますので、大方の流れは把握出来てます。

手術室の前で、
“名前”
“どちらの目を手術するのか?”
など、簡単な質疑応答。

そして、手術室に運ばれます。

今回も、奥の手術台でした。

そして、左目下に麻酔。

麻酔が効くまで、左腕に血圧計の腕帯を巻いたり、胸に心電図を計るための電極を着けたり。
顔には、左目部分が空いた薄い緑色のシーツを被せられます。

麻酔が効いたのを確認して、手術開始。

相変わらず、耳元で器械のコンプレッサー音やハサミ、メスなどのカチャカチャ音は聞こえますが、前回ほど怖さはありません。

左目には、ライトが当てられ真っ白な世界です。

が、やはり例えられない恐怖を感じます。

前回同様、白い光の中で、何かが動いてるのですが、今回はなるべく見ないように。

硝子体手術用の3本の針が刺さってるはずなのですが、分かりません。

前回と同じく、例の研修医くんが助手に就いてます。

M先生は、モニターを見ながら、手術の仕組みを教えてます。
と、同時に、カメラも回して録画しているみたいです。

この辺は大学病院ならではでしょうか?
当然、自分は見れませんから、先生と研修医くんの会話からです。

手術の終盤ごろ、前回同様、痛み出しました。

なるべく我慢してたのですが、さすがに…

「せ、先生、痛いんですが…」

前回と同じく、麻酔を調節してくれると期待しました。

しかし、M先生は、

「あと、少しで終わるから我慢して!」

( ̄▽ ̄;)!!ガーン

「でえああええ!」心の叫びです!(笑)

ガチで痛いんですけど….

(; >_<)

小声で

「痛、痛、いたっ、イタッ」

それを無視するかの如く、手術は進んでいきました(笑)

手術が終わった時に、M先生が研修医に言いました。

「あ、ちゃんと録画されてないや」

ち、ちょう。。。



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日記からです。

「白内障手術も含んだ為か、前回より時間が掛かった。
しかも、痛いしw
今回は、前回と違い、
なるべく左目で見ないようにしていた。
なんか分からんが恐怖感が前回よりあったからだ。
11時から始まり13時には終了。
車椅子で看護師さんに押されながら、病室に帰り、
2時間ほどベッドで うつ伏せになり、
15時から、この日初めての食事を取った。
白内障手術のせいか傷口がズキズキする。
また、眼球の奥も痛い。
これは、鎮痛剤を頂いたおかげでだいぶましになった。

お、地震や!
軽くミシミシしている。
小笠原で震度4だって。
ここ、15階やから、揺れてるのが分かる」

今回は

“白内障手術”

も併せて行いました。

http://www.skk-health.net/me/24/#chap2

手術中、眼内レンズも入れられたのです。

結局、シリコンオイルは、入れられず、前回同様、ガスが入ってます。
折角、抜けたガスですが、再び、中央に大きく黒い点が見えます(笑)

そして、病室に帰り、再びうつ伏せになります。

6月26日の日記からです。

「今日から地下のローソンに行くことを許された。
さて、ここでの入院生活もあと少し。
なんだろ、飽きもせず淡々としてるんですよね。
だって、飯は出てくるし、シャワーも予約すれば入れる。
地下のローソンでアイス買って、食って、意外と快適なんよ。
しかも、ここ数年はテレビ見ないし、スマホがあれば十分なんよね。
あ、これで大好きなつけ麺があればな〜w
でも、二度と、いや三度と来たくはないのさwww」

なんか、陽気ですね(笑)

バカですね。。。

食事の量が足りないので、地下の売店でハンバーガーやお菓子を買ってますね。

6月27日の日記です。

「いよいよ、明日の朝に退院である。
家に帰れる!ガジに逢える!お酒が呑める!
良いことずくめなのだが、一抹の不安がある。
それは、再々剥離しないかどうか。
暫くは運動もダメ。
 
つまりジムに行けないわけだ。
 
残念だが、それは我慢しよう。
 
だが、ふとした瞬間、何気ない時に剥離するらしい。
これは、正直怖い。
2度も手術をしたのに、これ以上目を弄らないでほしい。
つまり爆弾を抱えて生きていくのだ。
 
網膜剥離に関しては、完治はないのさw」

そう、“網膜剥離”に完治はないのです…

つまり、いつ再発してもおかしくありません。

28日は、午前中に退院しました。

ガジ、久しぶり!

 

次、ここに来るのは、7月1日です。

今回は、ここまでです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

2017-09-05




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初めての検診で。

次の診察が6月17日です。

あ、関係ないのですが、8月31日は、親父の90回目の誕生日でした。
普段、親父にメールなんかしないのですが、母親が亡くなったばかり。
簡単に“おめでとう”メールをしました。
で、返信がこれ(笑)

 

「もぅしわけありんほんほ」

あかんわ…
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では、話を「網膜剥離」戻しますね。

17日まで、特にやることはなかったですね。
まったりと過ごしました。

視力も若干ですが、戻ってきた感じです。

でも、まだまだですね。

ガスですが、黒い点が小さくなっていくのが日に日に分かります。
​ 
​ 
6月10日の日記です。

「おはようございます。
昨日23時過ぎに寝たせいか、朝の6時に目が覚めた。
今日は歯医者やね。
また麻酔か〜
左目やけど、微かに微かに見え始めて来た。
このまま現状維持なのか回復するかは、
まだまだ分からんけどええ感じやね。
酒呑んだら活性化するのか縫った糸のせいで痛い。
そして痒い。
これも貴重な経験やと思うことにするわ。
あ〜髪を切りたいな。
それより、なんか仕事ない?
いや、今は目を酷使せんほうがええんかね。」

お金がない意外は、まったりとしてますね(笑)

あ、そうだ。
今回の手術のことは、親には知らせてません。
ただでさえ、心配性の母親です。

左目が見えないと知ったら大事になります(笑)

 

しかし、手術するのには、承諾書にサインしなければなりません。

自分と保証人です。

当然、親には無理なので、姉貴にしてもらいました。
親には内緒ということで…

あ、姉貴は大阪在住なので、了解を得て自分でサインしましたね。

外は、梅雨が終わり、カンカンと日が照りつけています。
シャワーは首から下は大丈夫なのですが、顔と頭は、担当医の許可が出るまでダメでした。

なので、髪の毛が痒いこと!(笑)
日記に書いている通り、縫ってる左目も痒い!

ここは、我慢ですわ(笑)

いよいよ、検査のある17日を迎えました。

9時過ぎに病院に行きます。

一通り、検査をしてから、担当医(執刀医)へ。

「くっついてない!!!」

「再剥離している!!!」

 

担当医から、そう言われ、急遽2回目の手術をすることになりました!
​ 
​ 
6月17日の日記です。
​ 
「気が重い…
今朝、東◯医科大学病院に検診に行ったら、
来週月曜日に再入院、火曜日に再手術だって。
6月は良いことないな〜
ガジごめんな。
もう、何もやる気がおきないよ。。。」

どよ~~んと、してますね。。。
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​ 
続いて6月19日です。
​ 
「手術まで、あと4日。
正直、怖い。
もう左目が見えなくなるかもしれない怖さに怯える。
四柱推命的に火星人プラスは大殺界中。
しかも霊合星人ときてる。
ここ3年間は最悪で、とくに毎年5,6,7月はどうしようもないらしいw
いやいや勘弁願いたいものである。
じゃ、8月から良くなるのか、来年から幸運が舞い降りるのか?
ま、生まれた時から不幸ちゃ不幸だが…
なんせ、へその緒が首に二重に巻いてたらしいし。
一歩遅ければ死んでたとか。
運が強い?
いや、生まれてきちゃいかんかったのかな?
とにかくガキの頃からやることなすこと悪い方向に行く。
好きになった子とは結ばれず…
今もそうかw
こんなこと書いてなんだが、智◯子は元気なのだろうか?
あいつの苦しみ、これからの人生考えたら、俺なんて…
やっぱり俺のことを恨んでるのかな。
ごめんな、俺のせいで人生不幸にしてしまって。
歩くことは不可能でも幸せになってほしい。
俺は、何も出来ないけど…」

完璧におかしくなってますね。。。

四柱推命ていうか、細木数子の“六星占術”のことだと思います。

その昔、流行った

「あなた、死ぬわよ!」

のアレですね(笑)

“智◯子”とは、前の嫁の名前です。
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​ 
続いて6月20日です。

「​夕方は、とても良い夢を見た!
夢占いでは最悪やけど、ええんや。
無理なのは分かってるしね。
それにロナも出てきた。
元気やったよ。
天国でも相変わらず人懐っこいのかな?
弟のガジ同様、俺を見守ってくれよな。
ここ数週間、いや数年間は気持ちが落ち込んでたけど、夕方の夢は良かった。
うん、現実では無理と知っててもね。
ありがとう、ロナウド。」

なんか、いい夢を見てますね(笑)
夢の内容は記されてませんでしたが、とにかくいい夢だったのでしょう!

ハイになったりネガティブになったり大変ですな…(笑)

日記に出てくる“ロナ”とは、ガジの前に飼ってた猫です。

ちゃんとした名前は“ロナウド”と言いました。
サッカー好きにはピンと来たかも?

そう、元ブラジル代表のフォワードです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ロナウド

 

今の若い子は、同じロナウドでも、ポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウドの方が有名かな?

https://ja.wikipedia.org/wiki/クリスティアーノ・ロナウド

そのロナですが、2013年6月10日に亡くなりました。

約17年生きていましたので、老衰ですね。

人なつっこい猫でしたね。

在りし日のロナウドです。


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6月21日26時に書かれた日記です。

「さて、今日から入院。
で、明日は2回目の手術。
緊張するな!と言うが無理、無理。
どうなりますかね?」

入院当日です。
午前中に入院手続きをして、再び15階の病室へ。
前回は1番手前だったのですが、今回は1番奥の窓側です。
昼ご飯は、サンドイッチでした。

入院までの間は、
準備などで、バタバタしました。
また、

左目に針を刺すのかよ!

と、思うと、夜も眠れなかったと思います。。。

手術を翌日に控え、看護師にお願いして外出許可をいただきました。

病院近くの“ビックカメラ”に行き、iPhone用のライトニングケーブルを買うためです。

晩御飯です

手術後は、再びうつ伏せで寝ます。

検査以外で15階から出ることはないと思い、地下の売店でお菓子類やティッシュなどを買いました。


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6月22日21時に書かれた日記です。

「消灯です。
今朝、入院しました。
明日の11時から手術です。
白内障手術も加わるから1時間から1時間半の予定です。
無事終わってくれることを祈るだけです。
正直、怖いです。
今現在の左目は少し明るさは分かるものの、真っ暗闇状態です。
そして、不安要素が一つ。
前回の網膜剥離の手術ではガスを注入しましたが、
今回はオイルを入れるかも知れないということです。
術中に決めるらしいのですが、オイルだったらもう一度手術をし、オイルを抜かなければなりません。
これは、ちょっと痛いです。

しかし、病院では話し相手がいません。
これは、これで気になりませんが…
でもなんか寂しいです。
いや、誰か来られても、説明するのがかったるいですw」

明日は、11時から手術の予定です。

 

 

 

今日はここまでです。
最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。
 
2017-09-04





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退院です。

2015年6月8日、退院しました。

入院費と手術代はクレジットカードで支払いました。

合計で 190,000円近くです!

 

その足で入院中、ガジ(飼い猫の名前です)が
お世話になった、ママの店へ。
お礼を兼ねてランチを食います。

“うーん、シャバの飯は美味い!ヽ(^◇^*)/”

家に帰ってから、溜まってた衣服類を洗濯。

左目は、少し痛むのと硝子体手術でガスが入っているため、中央に黒い点が見えます。

視力のほうですが、まだ、はっきりとは見えません。

自宅でもうつ伏せに寝るよう、指示がありました。

当然ですが、目に負荷を掛けることは、NGです。

近所のフィットネスジムに通ってたのですが、しばらくは自粛することにします。

再発は、怖いですからね。
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夜は、“少々のアルコールならOKと”、いうことで、西武鉄道・新井薬師前駅にある焼きトン屋に行きます。

“ひさびさ!(*^0゚)v”

内蔵系のコリコリ感がたまらなく好きです!”(笑)

それから、行きつけのお店に行きます。

このお店、カウンターが6席、小さいテーブルが1席だけの小じんまりとしたお店です。

自分より4つ程年上のマスターが1人で切り盛りしています。

自分が、初めて入ったのは、 2013年の10月でした。

ここに引っ越してきたばかりで、何かいいお店がないかとプラプラしてて見つけました。

外から除いたら、若い外国人の女性が2人おり、ちと冒険のつもりで入店したのです。

その外国人も、初めて、ここに入ったとか。

話をしてみると、オーストラリアから観光に来てるそうです。

一人はモデルで、一人はそのマネージャーでした。

日光に行った帰りで、ここに寄ったんだと。

明日は、大阪に行くと言ってましたね。

なんか、世界的に有名なTattooの店があるそうで。

因みに自分ですが、英語は全く話せません(笑)

この店のマスターが、以前、貿易関係の仕事をしており、片言の英語なら何とかなるということでした。

すごく、穏やかで、優しいマスターです。

(この数日後、このマスターに無茶苦茶お世話になります)

マスターですが、宮城県の海沿いで、生まれ育ったそうです。

2011年3月11日に襲った“東北地方太平洋沖地震”では、近くまで津波が押し寄せたとか。

自分の実家も“阪神淡路大震災”で被害を受けてますので、自然と意気投合しました。

ま、

“震災仲間”

ですね(笑)

その店に、行ったのですが、閉まってました。。。
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日記からです。

「久しぶりに飲んだ。
新井薬師の四◯屋いって、お◯の◯行ったら“暫く休みます“の紙が…
何でもなければええんやけど。
で、すたこら歩いてスタジオ◯へ。
その前にライフで猫の缶詰を約2,700円分買う。
ガジがお世話になったお礼だ。
で、飲む。
不思議と酔わない。
逆に入院中何も考えられなかったことを考える。
よい時間を過ごす。
帰りに新しくなったラーメン屋でつけ麺を食べる。
で、いまここ。
左目が痛いw
とりあえず、病院から貰った痛み止め?を飲む。
やっぱり、アルコールはあかんかったのか?
ズキズキする。
外は梅雨入りに入り雨が降っている。」

新井薬師から東中野まで歩いてますね。
20分ぐらい歩いたのかな?
日記は、26時47分に書かれてるから、26時過ぎに帰ってきたのでしょうね。
その時のガジの写真です。

次の診察が、6月17日です。

それまでは、歯医者に行ったり、近所の内科で高血圧と痛風の薬をもらったりしました。

今日は、ここまでです。
最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。




2017-09-03




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入院2日目です。

今回から「網膜剥離」の続きを書いていこうと思います。
また、どこかで脱線するかも知れませんが。。。




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2015年6月5日 金曜日。

入院2日目です。
自分は6人部屋。

入って、直ぐ右側のベッドです。

一日は、朝の6時から始まります。

6時に起床。

6時半頃に看護師さんが、体温と血圧を計りに病室を巡回します。
それと同時に点眼剤も置いていきます。

7時に朝食。

同じフロアにある、面談も出来る休憩所で食べても、部屋に持ち帰っても、どちらでも大丈夫でした。
自分は、休憩室で食べてましたね。

8時から検診が始まります。

これも同じフロアですから、この階は眼科の患者だけなのかも知れません。
そんなこと、全然気にしてませんでした。

顔を洗って、病室で待機してると看護師さんが来て、

「後10分ほどで検診室の前に行ってください。」

と言われます。

で、検診室入口で待機。

しばらくして、中から呼ばれます。
3〜4つの診察机が横に並べられてます。
机の上には器械が置かれ、その奥に執刀した先生が座っています。
患者は、手前に座り、名前を告げます。

最初は、手術をしたばかりで、縫ってることもあり、なかなか目を全開に出来ません。
そこは、先生がグイッと無理やり開かせます(笑)

ペンライトを左目に充てて、

先生
「はい、目を上に向けて。


今度は右ね。

次は下を。


左に向けて。


はい、いいですよ〜」

と。

薄く充血はしてるのですが、手術翌日なので問題は無いとのこと。

次は机に置いてある器機に左目を充てて、検査。

ものの5分くらいでしょうか。

あっという間に終了。

特に痛みは感じませんでした。

診察室の外で、看護師さんに、新しいガーゼをテープで留めてもらい、その上から金属の眼帯を、これまたテープで留めて、病室に戻ります。

そして再び、病室でうつ伏せで寝ます。

日記から。

「入院二日目。
朝から治療。
昼飯後、今度は右目にレーザーを当てる。
集中して同じ箇所に当てるとズキズキと眼球が痛い。
約20分ほどで終了した。
うちにいたら日々の出費など頭痛いことが多すぎるし…w
いい機会だと自分に言い聞かせている。
誰も俺が入院中だと知らないから、面会にも来ない。
これはこれで一抹の寂しさを覚えるが、逆に気楽でいいや。
明日もこんな感じかな。
退院予定は月曜日。
それまでまったりと!」

はい、自分が手術することは、カラオケスナックのママ以外は誰にも教えていませんでした。
理由は簡単

“面倒くさい”

からです(笑)
だって、見舞いに来ていただくのはありがたいのですが、一々説明するのが、かったるいですもん。

 

日記には、右目にレーザーを当てると書いてますね。

 

検査の時、右目も若干、剥離仕掛けてるとの事で、レーザー治療をしました。

この治療は、手術室ではなく、2階の外来で行いました。
視力検査に行く途中に小さな部屋があり、そこで治療します。

レーザー治療とは、

https://allabout.co.jp/gm/gc/301725/

で、レーザーを撃ってくれたのは、昨日の研修医くん。

うーん、大丈夫かな?

その研修医くん、レーザー治療室の人に使い方を聞いてます(汗)
大学病院だから仕方ないのか、やはり不安。

“直接、目にレーザーを充てる!”

当り前ですが、経験のない者にとっては、とっても怖いものです。

右目を器械に固定して、足下にあるフットスイッチを踏むのですが、何故かレーザーが発射されません。
再び、治療室の人に聞いてます。

おいおい、、、(汗)

代わりに治療室の人が撃ちます。

緑色の光が目に!

数発撃って、研修医くんに交代。
今度は、上手くいきました。

最初は問題なかったのですが、数十発撃った所で痛みが。

「う、痛!」(T△T)

そこで、しばらく休憩。

で、数分もしないうちに再開です。

カチカチカチ。

緑色の光がボァボァボァ。

気分が悪くなる人も、たまに出るとか。

「痛てえよーーー!!!」。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。

何十発撃ったのか?

途中まで数えてたのですが、そんなことどうでもよくなりました(笑)

ところで、この研修医くん、楽しんでない?

日頃の溜まったストレスをぶつけてるのかも知れません(笑)

時間にして、20分ほどで、無事?レーザー治療は終了。

部屋に帰って、再びうつ伏せで寝ます。

 


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さて、この歳にもなって、

嫁もおらへんのか?

と、お思いの方もいるでしょう。

いや、います。

じゃないや、いました…

2011年12月に離婚しました。。。

結婚したのは、1997年7月ですから、
14年続いたことになります。

この年は、神戸の須磨区で悲惨な事件がありました。

「神戸連続児童殺傷事件」です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/神戸連続児童殺傷事件

自分は神戸出身なので、食い入るように当時のテレビを見ていましたね。
実家に帰っても、その話ばかりだったと思います。

別れた元嫁ですが、彼女も悲惨な運命に見舞われます。
その話は、いずれ。

 

 

さて、入院中の話に戻りましょう。

前回も書いたのですが、トイレ、食事以外はうつ伏せで寝なければなりません。

なので、唯一の楽しみは、食事になります。

何枚か撮った写真がありました。

 

内臓系での入院ではないので、至って普通です。
でも、量が少ないんだわ…(笑)

 

 

6月6日の日記です。

「ここは21時消灯です。
意外とこれが一番きついw
で、消灯から30分経ちましたが、眠気なんかあるわけない!w
​ さて、どうしたものか。
近くに喫煙所があればええんやが、なんせ館内は禁煙。
吸うには隣のヒルトンホテルまで行かねばならん…

昔、鎖骨骨折で入院した○×病院では、ロビーでガンガン吸ってたのにw
これも時代ですかね…
我慢、我慢」

ヘビースモーカーにとっては辛かったようです(笑)

今日はここまでです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2017-09-02




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母親のお通夜と告別式が無事に終わりました。 その4

8月28日

 11時より告別式です。
あ、母が他界して1週間が過ぎました。
正直、気落ちしています。
ポカンとエアポケットが出来た感じですね。

早かれ遅かれ、誰しも経験することなのですが、実際、自分がなってみると辛いです。。。




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さて、告別式の前に写真撮影があるので、10時20分前後には来てほしいと、昨日、葬儀場側から言われました。

親父には、10時ぐらいにマンションを出ようと言ってたのですが、朝方、テーブルに

「先に行く」

と、書かれた紙が。

告別式の後、荼毘に伏せます。

1分でも多く、母親の近くに居たかったのかも知れません。

写真撮影が終わり、定刻通り、11時から告別式は始まりました。

法名は「釋尼優徳」

これも、初めて知ったんですが、浄土真宗には、戒名はなく法名になるみたいです。

http://otasukekaimyou.iinaa.net/nk-k-h.html

いろいろと勉強になりますね。

お経が終わり、エレクトーンの生演奏の中、祭壇に飾られてた花を棺桶に入れていきます。
曲は、美空ひばりの「川の流れのように」

もう1曲は忘れました…(笑)

12時に火葬場に向けて出発。

場所は、西淀川区の佃斎場です。

車で20分ぐらいでしたね。
着いたら、霊柩車からストレッチャーに移され、火葬炉の前まで運ばれます。
手前から1,2,3,4と番号が振ってあり、母親は4番の火葬炉でした。

当然、中は撮影禁止です。

2時間ほど掛かるので、いったん葬儀場に戻り、昼食を取ります。

 食事が終わった後は、特にすることがなく、暇でした。

14時40分過ぎに、再び火葬場に向かいます。

 骨になった母親の遺灰が火葬炉から出されました。

係員の指示通り、骨上げをします。

骨上げとは、

https://sougi.minrevi.jp/word/kiji/i_686.html

まずは、喪主である自分が、一部を箸でつまみ骨壷へ。

それから、皆で足の方から入れていきます。

入れていく途中、一杯になってきたら、係員が「壺に収まりきれないので、小さくしていいですか?」

と、聞いてきます。

係員は、一礼をして、お箸で上から押さえつけます。

ゴリゴリ押して骨を潰していくのです。

そして、また再開。

これを2回しました。

 

西日本と東日本とでは、骨壷の大きさが違うそうです。

 
全て入れる東日本と違って、西日本は一部のみ入れるのです。
残りの骨は、係員が回収し、共同墓地に納められると言ってました。
天王寺にある“一心寺”なのかな?
天王寺までは、聞こえたのですが、その後は、あまり興味がないので流してました。

ちゃんと聞いとけば良かったな。。。

一心寺

最後に喉仏を入れます。

係員が仏様が座禅している姿によく似ていると言い、形を作ってくれました。

確かに!

喪主である自分が、それを納めました。
骨壷を白い布で巻き、両手で抱えます。

よく、テレビなどで見るシーンですね。

火葬場を後にし、葬儀場に帰ってきました。
昼飯を取った部屋に案内され、お坊さんが到着するのを待ちます。

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15時30分より、初七日の法要が始まりました。

 16時ごろに終了。

白い布に巻かれた骨壷を持ってマンションに帰ってきました。

16時30分ごろ、担当者が簡易な仏壇を作りにマンションに。
新しい仏壇が到着するまでの「仮」ですね。

組み立て終わり、四十九日までの説明。

担当者が言うには、
最近、どこでデータが漏れているのか分からないが、当葬儀場の名前を使って、詐欺行為が行われてるとか。

こちらからは、営業に来ることは絶対にないので気をつけてくださいとのこと。

それと、火の元ですね。

ロウソクは無事にあの世に行けるため、

四十九日間は絶えず灯すのですが、ここ最近は、電池式にするそうです。

予備電池を含め、49日間持つと言われました。

これで、告別式は無事に終わりました。
自分は、一息ついて東京に戻りました。

うちに着いて、ほっと一息。
飼い猫のガジラは。。。

主人の心配をよそに、グースカ寝てました。。。(笑)

 

 

式は、滞りなく終了です。
なんせ、突然でしたからバタバタとせわしなかったのも事実です。
親族のみの葬式でした。
でも、母も喜んでくれてると思います。

 

お母ちゃん、ほんまにありがとうな!

 

 

というわけで、数回に渡り、母親のお通夜、告別式を書いてきました。
次回からは、このブログのテーマであります「網膜剥離」について書いていく予定です。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2017-09-01
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