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【詐欺メール】オリックス・クレジット、楽天カード株式会社の迷惑メールに騙されるな!


10月11日にオリックス・クレジット
10月12日に楽天カード株式会社
と、2日続けて迷惑メールが来ました。

 

内容は、以下の通りです。

 

オリックス・クレジット

 

楽天カード株式会社

 

絶対に

“詳しくはこちら”

を開かないようにご注意ください!

ウイルスが仕込まれています!!

自分は、楽天やamazonをよく利用しています。
なので、楽天から来たメールは何も考えずに開いてしまう癖があります。
\(^o^)/
もし、オリックスではなく楽天が先に送られてきたらヤバかったかも…
自分のことは自分自身で守りましょう!
みなさんも注意してくださいね。

てか、重要なメールなのに“CC”で知らない人のアドレスを大量に表示させるかよ!(笑)

て、書いてたら、またもや新しいスパムメールが届きました!
引き落とし日が16日って…
たく、ええ加減にしいや!

\(*`∧´)/ ムッキー!!

 


↑拡大する。(PDF)


2017-10-13​


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​元嫁のことを少し。

​元嫁とは、1997年に出会いました。

東京に出てきてから、最初に住んだのが、中野区野方でした。

最寄り駅は、西武新宿線野方駅。

2年ほど練馬区に居たのですが、最寄り駅はやはり野方でしたね。

あ、1度隣の都立家政に住んでたこともありました。

野方に比べ、買い出しには不便な街でしたね…

今は、どうなのでしょうか?
​​

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彼女と出会った場所は、野方駅近くにあったおでん屋です(笑)
よく、店が閉まった後、店のおばさんと3人で飲んだものです。

自分は、音響効果。
彼女は、舞台関係です。

以前の職場も、お互い、麻布十番にあり、すぐに意気投合しました。

自分が2歳年上で、出身地もお互い関西。
自分は神戸で、彼女は宝塚でした。

結婚して14年。

2011年の12月7日、中野区役所に離婚届を提出しました。

しばらくして、彼女は高円寺に。
自分は、今住んでいる東中野に引っ越ししたのです。

離婚したと言っても、週に1〜2度は会ってたかな。
近況報告なども兼ねて、高円寺か東中野の居酒屋で飲んでましたね(笑)

そんなに会ってるのに、何で離婚したかって?

“…不思議ですよね”

ただ、出会って結婚したのが、僅かに3ヶ月ほど。

彼女の事を何一つ分からず、勢いだけで籍を入れたのです。

なので、

“今一度、考えて見ようかと”

それでお互いが必要なら、もう一度籍を入れれば良いのではないかと。

そう思ったのでした。

はっきり言って、これは自分の

“我が儘”

です。

しかし、これが彼女を追い詰めることに…

彼女は、自分と離婚してから、新宿にあるKD◯Iビルで働き始めました。

a◯のiPhoneのお客様サービスセンターです。

しばらくして、Androidも掛け持ちになりました。

ご存じだと思いますが、
1機種のiPhoneに対して、Androidは数機種。

しかも、製造メーカーにより、入っているOSやアプリが違っていたりします。
かなり苦労したようでした。

お客様より、“ショップ”からの電話が多いと言っていましたね。
ま、ショップの店員なんて何も知りませんから(笑)

しかもしょっちゅう携帯料金の変動があり、憶えるのが大変だとも言っていました。

そんなある日のこと。

2013年9月10日です。
自分は、MAで赤坂にいました。
夕方、知らない番号から着信が。

その時の日記です。

「人生いろんな出来事がある。

今日、MA中に知らない番号から電話が掛ってきた。

その前、地下鉄に乗ってた時も掛ってきたのだが、
それは“中野区役所国民健康保険課”からと留守電で分かっていた。

今回は、携帯電話の番号からだ。

取るつもりはなかったのだが、携帯からだったので、ついつい繋いでしまった。

声は智◯子。

全く元気のない澱んだ声。

一瞬、またか!w
なのだが、

今回は

“クモ膜下出血”

である!

おいおい、それはマズイだろ!

挨拶もそこそこに急いで入院先の国際医療センターに向かう。

場所は大江戸線若松河田駅。
千代田線赤坂→国会議事堂駅で丸ノ内線に乗り換え、
新宿駅から大江戸線新宿駅まで乗り換えのため10分ぐらい歩く。
大江戸線新宿駅から都庁前駅まで行き、飯田橋方面に乗り換え若松河田駅で降り、徒歩約10分。

思ってた以上にめんどくさいw

西棟6階966号室に。

倒れたのは9月5日の夜、KD◯Iビル内のa◯エ◯ルバでだ。

職場で倒れたのが?幸いしたのか症状は軽いらしい。

が、左半身が動かない。

手術をするかどうかは、3日後ぐらいに決めるらしい。

手術をしないのならば、大阪の病院に転院してリハビリするとか。

どうして、彼女ばかりに不幸が訪れるのか?

一生懸命に生きてる人間を何故神様は襲うのか?」

“一瞬、またか!”
と、書いてますね。

彼女は、あまり体が強くありませんでした。

いや、自分と結婚した時は、そうでもなかったのですが。。。

2009年に

“膵臓炎”

で、膵臓を半分ほど摘出手術をしました。

ただ、この“膵臓炎”がなかなか特定できず、
何度も違う病院に入院したものです。

執刀医も
「開けてみて(お腹を)、初めて分かった。
他の病院も気づかなかったのは仕方がない」
と、言ってましたね。


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その2年後、今度は自分に不幸が襲いました。。。(笑)

9月12日の日記です。

「“風立ちぬ”を見終わった。

本編途中から涙が止まらない…
そんなに泣く作品じゃないのにな〜
ちくしょう。

早く元気になって、また口喧嘩しようや」

書いてて思い出しました。

そう、始まって直ぐに涙がこみ上げてきたのです。
しかも、“ううう”と声も。

抑えようと必死に堪えましたが、無理にすると余計に声が漏れてしまいます。

生まれてから、こんな経験は初めてでした。

この映画のテーマ曲である荒井由実の

“ひこうき雲”

https://youtu.be/9HInQDjCCRc

が流れた時は、もうどうしようもなく涙で、顔がくしゃくしゃになったのです。
今でも、この曲を聞くと辛いですね。

9月19日の日記です。

「今朝見た変な夢。
俺がタン(牛?)を切って智○子に渡すの。
で、彼女が焼いてるんだけど、塩が欲しいと。
瓶に入った塩を渡すんだけど、その隙にガジ※がお皿舐めるのよw
仕方ないなー、この馬鹿猫がw
て、気にしない様子。
なんか、ロナ※もいた雰囲気だけど、すごく皆んな幸せなんだわw
ずーっと、このままでいてほしい。
…
と、ユーミン聞いて書いてますw
お、「卒業写真」始まった」

※飼い猫の名前です。
“初めての検診で。”のブログを参照
http://moumakuhakuri.com/moumakuhakuri/moumaku-005

9月21日の日記です。

「今日の晩御飯は久々に唐揚げ。
なかなか美味しかった、ご馳走様w

昨日、智○子の見舞いに行ったのだが、
転院は30日の予定だそうだ。

場所は神戸市北区の恒生病院。
神鉄※で道場駅だと思う。

一日でも早く元気になってほしいが、多分、もう会えないだろうな…」

※神戸電鉄のことです。

彼女とは、この年の11月以降、会っていません。

ただ今でも時々、ラインをしています。

ラインには、左半身が錘(おもり)のように重いと。。。

“恒生病院”のあと、名古屋の病院に転院しました。
それから、西明石の“総合リハビリセンター”へ。

基本的に障害者は、それ以上、良くはならないと判断されたら、3ヶ月を目処に、その施設から出されます。

大変きついリハビリだったと思います。

“そんなのに比べれば、自分の左目なんか!”

と、辛いときに思うようにしています。

彼女は現在、兵庫県宝塚市で、仕事をしています。

しかし、左半身は戻ってきていません…

​​

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母親のお通夜と告別式が無事に終わりました。 その4

8月28日

 11時より告別式です。
あ、母が他界して1週間が過ぎました。
正直、気落ちしています。
ポカンとエアポケットが出来た感じですね。

早かれ遅かれ、誰しも経験することなのですが、実際、自分がなってみると辛いです。。。




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さて、告別式の前に写真撮影があるので、10時20分前後には来てほしいと、昨日、葬儀場側から言われました。

親父には、10時ぐらいにマンションを出ようと言ってたのですが、朝方、テーブルに

「先に行く」

と、書かれた紙が。

告別式の後、荼毘に伏せます。

1分でも多く、母親の近くに居たかったのかも知れません。

写真撮影が終わり、定刻通り、11時から告別式は始まりました。

法名は「釋尼優徳」

これも、初めて知ったんですが、浄土真宗には、戒名はなく法名になるみたいです。

http://otasukekaimyou.iinaa.net/nk-k-h.html

いろいろと勉強になりますね。

お経が終わり、エレクトーンの生演奏の中、祭壇に飾られてた花を棺桶に入れていきます。
曲は、美空ひばりの「川の流れのように」

もう1曲は忘れました…(笑)

12時に火葬場に向けて出発。

場所は、西淀川区の佃斎場です。

車で20分ぐらいでしたね。
着いたら、霊柩車からストレッチャーに移され、火葬炉の前まで運ばれます。
手前から1,2,3,4と番号が振ってあり、母親は4番の火葬炉でした。

当然、中は撮影禁止です。

2時間ほど掛かるので、いったん葬儀場に戻り、昼食を取ります。

 食事が終わった後は、特にすることがなく、暇でした。

14時40分過ぎに、再び火葬場に向かいます。

 骨になった母親の遺灰が火葬炉から出されました。

係員の指示通り、骨上げをします。

骨上げとは、

https://sougi.minrevi.jp/word/kiji/i_686.html

まずは、喪主である自分が、一部を箸でつまみ骨壷へ。

それから、皆で足の方から入れていきます。

入れていく途中、一杯になってきたら、係員が「壺に収まりきれないので、小さくしていいですか?」

と、聞いてきます。

係員は、一礼をして、お箸で上から押さえつけます。

ゴリゴリ押して骨を潰していくのです。

そして、また再開。

これを2回しました。

 

西日本と東日本とでは、骨壷の大きさが違うそうです。

 
全て入れる東日本と違って、西日本は一部のみ入れるのです。
残りの骨は、係員が回収し、共同墓地に納められると言ってました。
天王寺にある“一心寺”なのかな?
天王寺までは、聞こえたのですが、その後は、あまり興味がないので流してました。

ちゃんと聞いとけば良かったな。。。

一心寺

最後に喉仏を入れます。

係員が仏様が座禅している姿によく似ていると言い、形を作ってくれました。

確かに!

喪主である自分が、それを納めました。
骨壷を白い布で巻き、両手で抱えます。

よく、テレビなどで見るシーンですね。

火葬場を後にし、葬儀場に帰ってきました。
昼飯を取った部屋に案内され、お坊さんが到着するのを待ちます。

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15時30分より、初七日の法要が始まりました。

 16時ごろに終了。

白い布に巻かれた骨壷を持ってマンションに帰ってきました。

16時30分ごろ、担当者が簡易な仏壇を作りにマンションに。
新しい仏壇が到着するまでの「仮」ですね。

組み立て終わり、四十九日までの説明。

担当者が言うには、
最近、どこでデータが漏れているのか分からないが、当葬儀場の名前を使って、詐欺行為が行われてるとか。

こちらからは、営業に来ることは絶対にないので気をつけてくださいとのこと。

それと、火の元ですね。

ロウソクは無事にあの世に行けるため、

四十九日間は絶えず灯すのですが、ここ最近は、電池式にするそうです。

予備電池を含め、49日間持つと言われました。

これで、告別式は無事に終わりました。
自分は、一息ついて東京に戻りました。

うちに着いて、ほっと一息。
飼い猫のガジラは。。。

主人の心配をよそに、グースカ寝てました。。。(笑)

 

 

式は、滞りなく終了です。
なんせ、突然でしたからバタバタとせわしなかったのも事実です。
親族のみの葬式でした。
でも、母も喜んでくれてると思います。

 

お母ちゃん、ほんまにありがとうな!

 

 

というわけで、数回に渡り、母親のお通夜、告別式を書いてきました。
次回からは、このブログのテーマであります「網膜剥離」について書いていく予定です。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2017-09-01
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母親のお通夜と告別式が無事に終わりました。 その3

8月27日

今日は、19時からお通夜です。
自分は、ここに帰ってきてから、リビングに置いてある二人がけ用のソファーで寝ています。
しかも、薄いタオルケット1枚のみで、クッションを枕代わりに。
毛布や枕を、どこにしまってるのか分かりません。
なんせ、バスタオル1枚もどこにあるのか親父に聞いたら

「知らん」

と言われました(笑)
全て、母親に任せっきりだったみたいです。
エアコンの調節が難しく、28度に設定したら暑いし、26度にしたら寒いしで、最低なんやけど…
で、今日も寝付けずにいたら、案の定、4時くらいからゴソゴソと物音が。

でかいゴキブリが徘徊しているようです(笑)

そして、ブツクサ言いながら、リビングに来ました。

「669,669」

 

…と

蓬莱の肉まんは“551”やで(笑)

http://www.551horai.co.jp

 



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10時過ぎかな、寝不足の中、姉貴と次女がやってきました。

この二人いつも、べったりやな…(笑)

 

んで、再び金庫開けたりして保険などの契約書を物色中。

姉貴が親父に

「お父ちゃん、落ち着いたら、このマンション売って、私たちの近くに引っ越しておいで。
今、ちょうど空いてるねん。
私もな、歳やから、さいさいここに来れんわ。

それにガスが心配やしな」

自分も、その意見に賛成です。

が、親父は譲りません。

「お母ちゃんと一緒におった、この場所にいたいねん。
火は、使わへんさかいな。

死ぬまで居らしてくれるか!」

いやいや、90歳で呆けだした親父を何とか説得しようと、自分も姉貴の意見に賛成だと答えます。

すると親父は、急に

「お父ちゃんが死んだら、このマンションを売って、その金は、世話を掛けたお姉ちゃんに7、お前には3!」

 

と、言い出しました!

へ、俺は“3”なの?

てか、今急に言うことかいな(笑)

姉貴は、
「急に、こんなとこで言われてもな…」

と、苦笑い。

「証人はお前!」
と次女を指さします。
あ〜あ、また、この次女、嬉しそうに長女にLINEで教えるんやろな…

最低、最悪や(笑)

てか、“3”って…

頭の中の電卓が回り始めました(笑)
ええっと、このマンションの相場は…
それを“3”で割ると…

げ、殆どないやんけ!(笑)

 
いや、別にあてにしてた訳やないんですが、ちょっとショックでしたね(笑)
この辺りから、普段の生活リズムが違ってるのか、とっとと東京に帰りたくなりました。。。

てか、何でベラベラと大切な話を次女の前でするのかな(怒)

 


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このマンションのお話を少し書かせてください。

ここに、親が引っ越してきたのが、14年ほど前やったと思います。
姉貴が近くに越してきた方が、何かと便利やろと。
最初、姉貴夫婦は、駅近くの中古マンションを紹介したのですが、親父が、

「新築でなければ嫌だ!」

 

と言い出し、売ったお金を全て注ぎ込みました。
姉貴も母親も、今後、何かあったときに少しぐらい残してた方がいいのでは?

と、言ったのですが、聞き耳を持たなかったとか…

売った神戸の一軒家ですが、最寄り駅の阪急電鉄“王子公園駅”から、北に(神戸っ子は、山側と言います。その逆は、海側と言います)上り坂で、12〜13分掛かりました。

かなり傾斜がある坂道です。

歳を取ったら、上り下りもきつくなるし、家自体ボロかったしね。
そこで、先のことを考えて、今のマンションを買ったのです。
自分も姉貴の近くにいてくれた方が、何かと安心ですし、バリアフリーでセキュリティも万全。
ただ、生まれ育った家が、あんなに安いとはショックでしたね(笑)
で、1993年に、その実家から更に上ること15分。
神戸高校の裏手に小さいながらも新しく墓地が出来ました。
親は、自分や姉貴に金の苦労はさせたくなかったのか、約300万円で購入しました。
本当はもう少し東寄りに本家の墓地があるのですが、なんか意地があったのでしょうか?入りたくなかったらしいのです。
本家は立派なお墓です。

墓なんか、何処でもええやんと当時は思ってましたね。

本家のお墓です。

本家のお墓から見下ろした神戸の街並みです。

 

で、その後に阪神淡路大震災。
家は半壊で水廻りが全てやられました。
その修繕費が大変だったらしいのです。
その当時、母親から
「墓なんか買わへんかったらよかった」

と幾度と聞かされましたね。

 

 

さて、話戻りまして、お通夜の前に湯灌(ゆかん)が行われました。

湯灌とは

 

14時からの予定なので、それまで何か腹に入れとこうと思い、一人で外に。
正直、一人、外をぶらついた方が気も楽ですしね。
しかし、ここは食べる所がない(笑)
しかも今日は日曜日。
殆どの店が定休日です。
ファミレスや回転寿司に行ってもな〜
とりあえず、駅の方に歩きました。

何かあるでしょう。

駅近、
と、言っても一本大通りから外れたとこの角にお好み焼き屋を発見。

日曜日やのにランチもやってるんやね。

生ビールも飲みたかったし、これ以上探すのも面倒いから入店。
客は、自分一人でした。

とりま、ビールを注文。

入り口に書かれてた、“焼きそば定食”をお願いします。
 
ビールを飲んでる間にお客さんが2人、入ってきました。
2人とも“焼きそば定食”を頼んでいます。
もしかして、ここの“焼きそば定食”は美味いのか?

て、ことを考えてたら、ご飯と味噌汁、最後に焼きそばが目の前の鉄板に。

一口食ってみる。

麺がもちもちしてて美味い!
この店は当たりでしたね。
後から入ってきたお客さんも

“焼きそば定食”を頼んだことに納得です。

12時30分に店を後に。
そのまま、葬儀場へ向かいます。
既に、親父と次女はいました

親父は、母親の前にポツンと座ってました。

泣き疲れたのか、しばらくして控え室に。

次女もいなくなり、自分と母親とだけになりました。

14時になり、旅立ちの準備が始まりました。

女性2人男性1人が担当。
そのうち、女性1人は何かあったときのためか、部屋の端っこに座ってます。
実際に作業するのは、2人でしたね。
まず、左手にはめてある結婚指輪とシルバーのファッションリングを外します。

一緒に手伝ったんですが、なかなか硬くて時間が掛かりました。

親父は、

「2本とも棺桶に入れてくれ」

と、頼みますが、それは無理とのこと。

なので、ファッションリングは俺が形見として貰いました。

男性スタッフが、給排水装置を持ってる簡易バスを部屋に入れます。

準備をしている間に、
棺桶に入れる遺品の選択をします。
幾つか希望を言ったのですが、フレームが合金で出来た眼鏡や四国八十八箇所を回った時に使用した金剛杖はNG。
納経帳も厚みがあるため駄目でした。

ただ、紐で結んであった納経帳は、解いてバラバラにすることによりOKになりました。

また、うちは浄土真宗です。
恥ずかしながら、初めて知ったのですが、
浄土真宗は、三途の川を渡らず、西方極楽世界に往きます。
なので、冥銭は必要ないんですって。
ただ、それ関係なく棺桶には入れるとか。

で、本物を入れると眼鏡や金剛杖と同じく燃えにくいので、賽銭の絵がプリントされた紙を入れるのです。

洗浄の準備が整いました。

「みんなで洗ってあげてください」

とのことなので、皆でゴシゴシと。

自分は、髪の毛を洗いましたね。

男性スタッフに

「髪を洗うのが慣れてますね」

と、言われたのですが、どうなんでしょうね?

一通り、洗い終わったら、白装束に着替えます。

その上にご朱印が入った判衣を着せました。

足と手の爪を切ります。

「爪は、どうしますか?」

と、聞かれたので、棺桶の中へ。

次は化粧です。

死に化粧ですね。

倒れたときに、なったのでしょうか?

左耳から、うっすらと血が見えたので、男性スタッフから綿棒をもらい拭いてあげました。

母親は、派手なことが嫌いでした。
出かけるときも、化粧は薄めでしたね。

そのことを告げると、口紅は薄めの赤に。

親父は、

「綺麗になったなー、良かったなー」

と、涙声で言ってました。

当たり前ですが、粛々とそして手際よく、その作業は進んで行きます。

いよいよ納棺の儀です。

納棺の儀とは

 

納棺すれば、顔以外は触れません。
手足などに触れるのは、これが最後です。

気の済むまで、手足を擦ってあげたりします。

自分を含め、数人で母を棺桶に移します。
顔に掛からないように、体の周りに“別れ花”を入れていきます。
そして蓋を被せます。

時計を見たら15時30分でした。

その後、姉貴の旦那さんが、保険の契約書や銀行通帳を持って来ました。

義兄は次女に、

「これから大人の話をするから、席を外してもらえる?」

と、言うと、

「なんでや、ここに居ってもええやろ」

と…

普通、空気を読んで外すんですが…
姉貴夫婦は、それ以上何も言いませんでした。

てか、自分怒鳴りつけてやろうと、喉元まできたのですが、いろいろと姉貴夫婦には迷惑を掛けてるから思い止まりました。

(´・ω・`)

よく考えたら、この次女は親父のことが嫌いなのでは?
だから、いつも姉貴と一緒に行動してるのかな?

などと、考えてたら会場の女性スタッフが饅頭とお茶を持ってきたのです。

これは、いいタイミングです。
自分は、次女にコーヒーを人数分頼んで外に出したのです。

その間に、お金の話をと。

義兄が言うには、保険の契約者名義を変えて貰いたいのと、銀行を解約する必要はない(解約するには、いろいろと面倒くさい手続きがあるため)けど、お金は数百円残して後は引き出しておけとかです。

コーヒーを持って、次女が帰ってきました。
姉貴夫婦と親父、自分との会話を聞いています。

どうせまた、長女にLINEするんやろな(笑)

それが終わった後、17時にお通夜と告別式の進行をしていただける司会者が打ち合わせに来ると言うことなので、一旦、着替えるためマンションに戻ります。
シャワーを浴びたかったけど、時間が無いのと面倒いから着替えだけ。

で、直ぐに葬儀場へ。

司会をしていただける女性と打ち合わせなどしていたら、もうお通夜の始まる19時前になっていました。

担当から案内され1階のホールへ移動します。
お坊さんが来て御焼香をあげ、40分ほどで終了。

身内だけですからね、早いです。

 

再び、2階の部屋に戻り、食事です。

瓶ビールを次女と2本飲んだのですが、少し酔ったかな?
長男は、カップ酒を飲んでましたね。
母親の出発の門出なのだから、もっと楽しく行きたかったのですが、皆さんお酒は飲めないようで…

なんか、くらーく、粛々と食事会は終わりました。

なんだかな〜

20時過ぎ、親父と一緒に帰ってきました。

帰っくる時、親父は今朝のことを話し始めました。

そう、「669」のことです。

なんのことはない、郵便ポストの暗証番号でした、

一瞬、暗証番号を忘れたそうです。

やはり、呆けてますね…

 

 

親父は、直ぐ寝たと思います。

自分もソファーに横になりiPhoneを弄くってたのですが、腹が減り出しました。
なんか外に出るのが面倒くさいな。

しかし、空腹には耐えれません(笑)

意を決して、21時半過ぎにマンションを出ました。

さて、どこへ行こう?

昼に行ったお好み焼き屋の近くに何かあるかも?

て、ことで駅の方に歩き出します。

JR御幣島駅よりもJR塚本駅の方が店は多くあるのですが、そこまで歩くのもねー

確か30分以上歩いた経験が1度だけ過去にあります。

だが、案の定、店はありません。。。
1件、パチスロ屋の裏手に立ち飲み屋を見つけたのですが、満席でした。

昼に行ったお好み焼き屋も22時まで。

仕方ないので、マンション近くのファミレスへ。

金曜日に続いてですか…

一人虚しく飲みます。。。

 

 

今日は、ここまでです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
​ 

日本代表、6大会連続W杯出場おめでとうございます!

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2017-08-31
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母親のお通夜と告別式が無事に終わりました。 その2

亡くなった次の日です。

11時過ぎに、姉貴は次女と遺体が安置されている警察署に自転車で向かいました。
昨日、遺体の引き渡しをするので12時に来てほしいと警察に言われたそうです。
親父としばらく待機。
13時ごろに死体検案書を貰って帰ってきました。

死体検案書には、“脳血管障害”と書かれていました。

いわゆる“脳卒中”です。

脳血管障害とは

https://kotobank.jp/word/脳血管障害-111888

遺体は、既に告別式を行う葬儀場に運ばれていました。

早速、そこに向かいます。




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Tシャツに半パンで、出ようとしたら姉貴に、ちゃんとした格好に着替えなさい!
と注意を受けた(笑)ので、
喪服に着替えます。
身内だけやし、別にええやんと思うんねんけどな〜
なので、先に行ってもらいました。
会館までは、徒歩で10分ぐらいです。
90歳で足の悪い親父と姉貴とは、その前で合流。
案内されエレベーターで2階に上がります。
90畳ほどもある部屋に母親は眠ってました。

泣きじゃくる親父。

つい、2週間ほど前は元気やったのに…

人間って、分からないものですね。

しばらくして、姉貴の長男が来ました。
Tシャツに半パンと野球帽でです。

おい!(笑)

住んでるのは、この近くのマンション。
ちゃんと着替えて来いや!
それを見て姉貴は、何も言いません。
普通だと、叔父である自分に挨拶の一つでもあるのが常識だと思うのですが、それもなし(笑)
ここの子供たちは、甘やかされて育てられてるな〜
まあ、そうなった原因も分かるのですが、ここでは割愛。
そして、畳の上で寝転がります(笑)

40歳手前で、子供が2人居るのにね…

夕方、親父に晩御飯を食べさせるために、マンションに戻りました。
母が生前、生協で頼んでたオムライスがあったのでチンして食べさせました。

あとは、即席の味噌汁と親父が好きなトマトが冷蔵庫にあったので次女が切ってあげてました。

そして、姉貴と次女と自分の3人は再び会館へ。
ちょっと用事を済ませたら、回転寿司に行こうということに。
会館に着いて、しばらくしたら、長男の嫁と子供2人が来てくれました。
上の子は、4歳くらいの女の子で、下はまだ、よちよち歩きです。
姉貴含め5人が円になり談笑し始めます。
孫が可愛いのでしょうね。
それは分かります。
自分は部屋から出て外の長椅子に腰掛けます。
ま、遅くても15分後くらいには出てくるやろうと。
しかし、15分はおろか、20分、30分経っても出てきません(笑)
痺れを切らした自分は、姉貴に

「今日は、コンビニで適当に買って買えるから。あと、親父に頼まれたお茶も買わなあかんしな」

 
と、言って葬儀場を後にしました。

正直、ちょっとムカつきましたね(笑)

コンビニに寄り弁当、お茶などを買い外に出ると、

夕焼けが綺麗だったのが印象に残っています。

 


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19時ちょっと前に帰ってきました。
リビングのテーブルで弁当を食べます。
“あ、今日は、サッカーやん!”

iPadのDAZNアプリで、磐田 vs 神戸戦を見ながら食べました。

 

19時半ごろ、親父は
「寝るわ」

と、言って別部屋へ。

試合ですが、元ドイツ代表、ポドルスキのゴールで先制したものの1-2で、逆転負けを喫しました。
ここ最近、全然勝てません…
ポドルスキが試合に出だした7月29日の大宮戦は3-1で勝ったのですが、それ以降の4試合は、3敗1分。
今日の磐田にも負けて5敗目です。
おまけに、8月13日のFC東京に負けて、ネルシーニョ監督が解任されました。(T_T)

ヘッドコーチの吉田孝行が代行監督になったのですが、直ぐに立て直すことは難しいようです。

サッカーが興味ない人に簡単にポドルスキの説明をします。
彼は元ドイツ代表で、4年に1度、世界一の国を決めるワールドカップに 3度、選ばれています。
クラブでは、ドイツのケルンやバイエルン・ミュンヘン 、イギリスのアーセナル、イタリアのインテル・ミラノなど名門クラブを渡り歩き、今年の3月にヴィッセル神戸と契約。
前所属のガラタサライ(トルコ)との契約を6月に終了。
7月からヴィッセル神戸の選手となりました。

世界的に有名なストライカーです。

 

一人、世界的なストライカーが入ったとしても、今のJリーグでは簡単には勝たせてくれません。

それだけ、Jリーグのレベルが伸びているのだと思います。

今日も疲れたから早めに寝ようと思い、22時には消灯したのですが、昨日同様眠れません。

昨夜と同じく、朝4時ごろに親父が起き出してごそごそし始めました(笑)

今日、27日は19時からお通夜です。
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本日は、ここまでです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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2017-08-30

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母親のお通夜と告別式が無事に終わりました。 その1

お通夜、告別式が無事に終わりました。

28日にお通夜。29日に告別式でした。
告別式が終わり次第、自分は東京に戻りました。新幹線車内で、ビールと酎ハイに軽めのおつまみ。

切符の拝見があって、京都駅を出たのまでは覚えています。そこから目覚めたのは、新横浜駅でしたね。

しかし突然でした。

先週の金曜日の朝、7時25分に親父から

「おかーちゃん、死んだ!おかーちゃん、死んだ!」

 

と留守番電話にメッセージが。
いや、その前に1回、電話が掛かってきたのですが、なんか重要な案件なら再び掛かってくるだろう。
と、無視して寝直してました(笑)

たまに、

「ちゃんと飯食っとんのか?」

など、どーでもいいことの電話があったりしてたからです(笑)
ただ、朝一なのが気になったのですが…



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“遂に来たか…”

ベッドから起き上がりリビングのリクライニングチェアに座り、一服。

親父の携帯に掛け直します。

“嘘であってくれ!!!”と願いますが、

 

親父から直接、

「おかーちゃん、死んだから」と…

それだけ言って、電話を一方的に切られました(笑)
 あっちはパニくってるのでしょうね。
そこと打って変わり、なぜか冷静な自分がいました。
もう、お互いに歳です。
(自分は51歳、母親は84歳です)
どこか覚悟を決めてましたね。
と、言うのは、母親は重度な喘息持ち。
もともと、体は強い方ではありませんでした。
それが、1995年の1月17日に起こった
“阪神淡路大震災”で、倒壊した家屋から出た粉塵を吸ったおかげで、ますます酷くなったのです。
隣の本家は、全壊。
自分の家も半壊でしたね。
歳を取ったこともありますが、ここ数年は週に1〜2回、点滴を打ちに病院に行っていました。
享年84歳。

10月10日が誕生日でした。

 

さて、自分はシャワーを浴び、帰阪する準備をします。

仕事柄、常日頃はパンツにTシャツなど軽い服装でいます。
スーツなんか来てスタジオに行ったことはありません(笑)
なので、スーツは冠婚葬祭時のみ。
そうですね、この51年間に40〜50回くらいしか着たことがないでしょうか?
ですので、ワイシャツはしわくちゃ。
独り身ですので、アイロンなんか掛けたことなどありません…
いや、サラリーマンの方々なら、独り身でもアイロンを掛けるか、クリーニングに出すのでしょうが。
当たり前ですが、日付が分かる結婚式と違って、人の死はいつ来るのか分かりません。
入院などあれば、ある程度の覚悟は出来ますが、今回は急でした。
地震と同じですね。
かと、言って、特に防災対策なんかしてません。
いや、一応、AmazonやLOHACOなどで、ペットボトルの水をまとめて買うのですが、いつの間にか飲んじゃってます(笑)

全く意味なしです。。。┐(´ー`)┌ヤレヤレ

東中野駅→新宿駅で中央線に乗り換え、東京駅に。
iPhoneのアプリで調べると、東京駅より品川駅で新幹線に乗り換えた方が早いらしいのですが、
iPhoneやiPadを充電するために必要なコンセントを確保するために、確実に窓側に座れる東京駅から乗ります。
もし窓側の座席が埋まっていたのなら、1本遅らせても確保します。

ま、指定席を買って窓側を選べば問題ないのですがね…

東京駅10時30分発、新大阪駅13時03分着の、のぞみに乗ります。
東京駅を出て、直ぐに姉貴より電話がありました。
デッキに出て会話したのですが、雑音で聞き取りづらかったです。

主な内容は、

・お通夜と告別式の場所は抑えた。
・お坊さんにも連絡を入れた。
・お前は何時ごろに帰ってくるのか?
   てか、もう家から出たのか?

です。

遅くとも14時半前後には帰れると言って電話を切りました。
流石は姉貴です。
俺と違って行動が早い!

ま、当たり前か(笑)

 

時刻通り、新大阪駅に着きました。

東海道山陽本線に乗り換え、尼崎駅に行き、
今度は東西線に乗り換え、御幣島駅で降ります。
あ、尼崎駅で親父から電話が掛かってきました。
「何時ごろに帰ってくるねん?」
声に張りがありません。
「今、尼崎駅やから、もうちょっとや」
「そうか、早よ帰ってきてな」

姉貴に帰る時間を言ったのに伝わってないみたいです。

御幣島駅からは、徒歩で15分くらい歩きます。
結構、歩きますな(笑)
上り坂などなく、マンションまでフラットなのは良いんですけど、アスファルトに太陽の熱が反射して暑いのなんの。

直ぐ汗だくになります。
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ここ、西淀川区御幣島ですが、昔は中小企業の町工場が多くありました。
自分もガキの頃に記憶しています。
今は、その殆どがシャッターを閉められ、寂しい雰囲気を醸し出してますね。

跡取りが居なくなったのか、景気が悪いのかは分かりませんが…

汗だくになりながら、親が住んでいるマンションへ。
合鍵で勝手に開け、廊下突き当たりのリビングに入ると、親父がソファーに腰掛け、半分放心状態でした。
「おおお、よう帰ってきたな! おあおえ○△○☓!!」
 
途中から、何を言ってるのか分からなくなりました。
そういや、親父は、8月31日で90歳!
総入れ歯です。
しかも、今回は興奮してるので尚更です。

ソファーから立ち上がり、その出来事を再現し始めました。

親父は、玄関入って右側の部屋で、このところ寝ているそうです。
で、母親は、リビング横の4畳半の和室で。
日課として、親父は朝6時に散歩に出かけます。
20分ほどで帰宅。
再び、部屋に戻り新聞を読みます。
母親は、だいたい6時30分ごろから朝飯の準備を。
しかし、この日は台所から聞こえるはずの朝飯を作る音がなかったそうです。
親父は、“今日は、ちょっと疲れてるのかな?ならば少し寝させてあげよう”
と、したのですが、10分経っても音がしないので不思議に思い、和室へ。
そこには、左下になり、倒れてる母親が。

慌てて揺すったのですが、返事はなし。

電話で姉貴を呼びます。
姉貴夫婦は、自転車で10分ぐらいの場所に暮らしてます。
到着した姉貴は、消防署に連絡。
レスキュー隊が来たのですか、既に死んでるとのことでした。
その後、刑事と鑑識併せて7人ほど来て、現場検証。
バシバシと写真を撮って帰ったそうです。

事件性があるかどうかで、何点か質問したそうですが、ま、形式的なもんですな。

親父が言ってたのですが、同じ死ぬんやったら病院がええと。
何故なら病院は、医者が死亡の判断を下すと、後はスムーズに事が運びます。
が、病院以外だと、事件性があるため、警察が来て検視をしなければなりません。

そして遺体を警察の安置施設に運びます。

親父は

「早よ、会いたい!早よ、会いたい!」

 

といい、可能なのか警察署に電話するのですか、当然無理。
先方も手慣れたもんだか、丁寧に説明してくれます。
幾度も受話器を握りしめ、頭を下げる親父。

気持ちは分かります。

そうこうしてるうちに、姉貴が次女を連れて来ました。
次女は33歳くらいだったかな?
長男、長女、次女の3人で3人とも結婚してます。
次女だけ子供はいません。
今は名古屋に旦那と住んでます。
ん、何で、ここに居るんや?
姉貴がわざわざ呼んだのかな?
てか、働いてないんかよ。
これ、今書いてる途中に気づきました(笑)

その時は、なんも思いませんでしたね。

姉貴と次女ですが、自分との挨拶は程々に
リビングにある小さな金庫を物色しだします。
保険関係や銀行通帳など金目のものを探し出してるのです。
アフ○ックや共済などの契約書を見つけて、姉貴の旦那へ。
それぞれの契約内容を確認するためです。
 
本当は、自分も手伝だわなくては行けないのですが、金庫が置いあるリビングは、広くもなく、逆に邪魔がられるので親父と一緒にソファーに座ってました。
でもね、姉貴の気持ちも分かるんですよ。
葬儀などの見積書を見せてもらったのですが、
全て合わせて約120万円ちょっとでした。
それでも、一番安い方です。
で、掻き集めて、やっと60万円ぐらい。
全然足りないのです…
自分ですか?

恥ずかしながら、全くありません(笑)

 

姉貴も、それを知ってるから、自分に向かって一切お金の話はしませんでしたね。
お恥ずかしいことです。

親父がボソッと

 

“世の中は金やな”

 

 

全くその通りですな。
だいたい、こういう事案で親兄弟が揉めるんでしょうね。
誰がいくら出す、出さない!とかで。

納得です(笑)

晩御飯ですが、当然ながら今まで作ってくれてた母親は居ません。
姉貴が近くのスーパーで買ってきてたパックの寿司を親父は、頬張りつきます。
つっても、そんなに食欲はないか。。。
自分と姉貴と次女の3人は近くにあるファミレスに行きます。
入るなり、次女が店の人に
「禁煙席でお願いします!」
と、勝手に言い出しました(笑)
 
いや、タバコが嫌いなのは分かりますよ。
でも、一言ぐらいは聞いてほしかったな。
しかも、こっちはgloという臭いが余りしない感熱式タバコなのに。
今の子は、こうなのか、育て方が間違ってるのか…
完璧に上目線です(笑)

「金の無い屑なお母さんの弟!」

て、思ってるのかもね(笑)

ファミレスに入ったのが19時だったかな?
お腹は空いてるんですけどね。。。
食う気力が湧きません。
とりあえず、中生を飲みます。
姉貴とは、今朝のことなどの話を聞きます。
何も食べずに、中生は3杯目に差し掛かります。
心配したのか、姉貴がなんか食えと。
ビールからレモンサワーに切り替えたところで、その店お薦めの和定食を注文。
それついでに、枝豆などのおつまみも。
食欲は若干ですが、湧いてきました。
レモンサワーも3杯は飲んだのかな?
こういう所のチューハイは、やたら甘いしアルコールも薄いです。
そこに、親父から電話が。
“まだ帰ってこうへんのか?”

と。

一人だと淋しいのでしょうか。

盛り上がり掛けた話を辞めて店を出ました。

ファミレスを出たのが21時。

それから、コンビニに行き、チューハイ2本とおつまみを買い、2人と別れてマンションに帰ってきました。

親父は、まだ、起きてました。
年取ってから寝るのが、だいたい20時半過ぎで、朝の4時過ぎに起きて、ゴミ捨てなど、ごそごそし始めます。
で、6時過ぎに散歩へ。
今日は、寝つけないのでしょう。

自分が帰ってくるのを待ってました。

しばらくたわいもないことを話したら、ベッドのある部屋へと向かいました。
飲み足りない自分は、買ってきた缶チューハイを飲んで、寝ようと思ったのですが、なかなか寝れず、結局、親父がごそごそし始める4時過ぎまで起きていたと思います。

 

 

今日は、ここまでです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2017-08-29
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母が亡くなりました。

突然ですが、昨日の朝7時半頃に母が亡くなりました
網膜剥離の3回目を下書きしてたのですが、しばらく休みます。

自宅で亡くなったので、遺体は近くの警察署に安置されています。
一応、事件性がないのか調べるそうです。

なので、自分はまだ母親と会っておりません。

不思議なことに、数年に1度、実家に帰るかどうかでした。

それが、今年は1月中旬と、神戸でサッカーを見た後の7月下旬に帰りました。

また、iPhoneの留守電に母のメッセージが何故か消去されず残っていました。

式の段取りは、姉夫婦に任せきりです。
この辺は、本当に情けない…

網膜剥離で左目の視力を失いかけてることは、母親には知らせていませんでした。

上記に書いた通り、母親には、まだ会っておりません。
早ければ、今日の昼過ぎになると思います。

今は、気が抜けた不思議な感じに包まれています。
母親が、いつも居たリビングで、これを書いています。

親父と俺の二人っきり。
親父は、憔悴して寝室に行きました。

母親と対面すると押さえつけられていた感情が爆発しそうです。

長男なので喪主を務めます。
何をしていいのか、正直分かりません…

次は、いつ更新出来るか分かりませんが、よろしくお願いします。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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